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エッセイ・コラム

ニューヨーク・タイムズとの付き合い

金京 法一

 1963年から1969年まで、約六年間ニューヨークで生活した。当時日本人の海外渡航がやっと自由化されたばかりで、外国に出かけたり、そこで生活するのはかなり珍しいことであった。

 会社のニューヨーク事務所は邦人社員だけでも百人ぐらいで、最大の海外拠点であった。海外生活をする場合、やはり気になるのは残した家族のことを含め日本のことである。現在は新聞はファックスで送られるし、インターネットでオンタイムで日本のことは知ることができるが、当時日本のことを知る唯一の手段は航空便で送られてくる新聞であった。ところで、日本の新聞に対する会社側の認識はいかなるものかよく分からないが、数種類の新聞を一部づつ航空便で送ってくるだけであった。当然新聞は幹部の間で回覧されるのみで、我々下っ端のものには回ってこない。幹部の考えは「ニューヨークにいるのだからニューヨーカーになったぐらいのつもりで現地に溶け込め」というもののようで、日本の事情に疎くなっても構わぬということであった。

 ニューヨークでビジネスマンが読む新聞は、圧倒的にウオールストリート・ジャーナルかニューヨーク・タイムズであった。特に理由はないが、何となくニューヨーク・タイムズを毎日購読するようになった。出勤の途上地下鉄の駅の売店で買い、往復の地下鉄の中で読むのである。日曜日は自宅近くのニュース・スタンドで二センチほどの厚さの日曜版を買う。慣れてくると新聞は必需品になる。住宅を探すのも新聞広告である。デパートのセールも新聞広告が頼りである。

 ニューヨーク・タイムズは日本で言う全国紙かと言えばさにあらず。全くのローカル・ペーパーなのである。ただ経済の中心がニューヨークなので、全国紙的な役割をおのずと持っているのであろう。国際関係では中南米やヨーロッパの記事が多い。それ以外は全くニューヨークものばかりである。ニューヨーク市長などは有名俳優並みの扱いである。ニューヨーク在住の有名人がらみの冠婚葬祭、スキャンダル等々満載である。当時アジアや日本の記事はほとんどない。60年代のニューヨーカーにとってアジアは実生活とはかけ離れた遠い異国だったのである。

 慣れてくると新聞も結構面白い。ほとんどの記事は記者の署名入りで、記事の信憑性が高いような気がする。また同じ記者があるテーマについて毎日書くことがある。それを毎日読むのは連載小説を読むような面白さがある。通勤時の地下鉄はある意味でニューヨーク・タイムズの世界であった。もう一つお気に入りだった記事はメトロポリタン・オペラの批評である。年間二十ぐらいの演目を百八十回くらい演奏するのであるが、それぞれの演目の初日の演奏については翌日にはニューヨーク・タイムズに批評が出る。オペラが終るのは夜の十一時ごろであるから、翌朝の版に間に合わせるには神業的な手法が必要に思えるが、実態はどうなのであろうか。昼間のリハーサルを見て書いているのかも知れない。しかし、1963年のシーズン初日の「アイーダ」では主役が38度の高熱を犯して大役を演じたが、それはちゃんと翌朝の記事になっていた。

 50年前と今では、ニューヨークも様変わりであろう。しかし60年代のニューヨーク生活は今でも鮮明に覚えている。それはすぐれてニューヨーク・タイムズに裏打ちされたものであった。

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