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エッセイ・コラム

もう一つの慰霊と鎮魂

浜田 道雄

 3月11日午後2時46分、日本中の人々が黙祷し、3年前の東日本大震災の2万人余にのぼる犠牲者の霊を弔った。政府が慰霊式を主催して、天皇と皇后のご出席のもと、安部総理は犠牲者の霊に、今後このような犠牲を決して出さないよう今後の防災に全力を上げると誓った。

 だが、その前日3月10日にも、私たちが慰霊し鎮魂しなければならない人たちの霊がある。その霊は東日本大震災の犠牲者のように、あるいは広島、長崎の原爆被害者のように、政府からも全国の人々からも慰霊され弔われたことはない。

 69年前、1945年3月10日夜、東京の本所、深川地区は大空襲に襲われて、一夜のうちに10万人余の市民の命が奪われた。
 その夜、2週間前の2月26日の大雪のなか降り注ぐ焼夷弾に我が家を焼き払われて、北千住の叔母の家に避難していた私は、隅田川の川越しに猛火で赤く染まった本所と深川の空を、母とともに見つめていた。たった2週間前我が家を焼き尽くした光景を思い出し、ふるえながらも赤く焼ける空から目を離せなかった。空には地上の猛火を反射しながら悠々と飛び去るアメリカの爆撃機の姿と、赤く染まった空に突き立つ「お化け煙突」のシルエットがあった。
 数日後、10万人の犠牲者のなかに、私の家を焼いたと同じ戦火で家を焼かれ深川の親戚のもとに避難した幼なじみ二人が含まれていたことを知らされた。彼らは2月26日の雪のなかを幸いにも逃れえたが、その生命は2週間長く生き延びただけだったのだ。

 3年前の東日本大震災は紛れもない自然の災害だった。だが、この69年前の10万人の犠牲者を出した災禍は「人災」である。あの日東京の下町を焼きつくした業火は、日本という国家が引き起こした戦争のもたらした結果だからである。しかも、その犠牲者は戦闘員ではない。女子や子供を含む市民であった。だが、この10万人余の犠牲者は、これまで全国の人々からも、また歴代の総理大臣からも鎮魂の言葉をもらったことはない。今年、3月10日両国で行われた慰霊祭は都知事が出席し行われたが、そのことはマスコミの片隅で、小さく報じられたに過ぎない。

 安部総理は靖国神社に参拝して、英霊に不戦を誓ったという。だが、不戦を誓うなら、まずは非戦闘員でありながら戦争に巻き込まれ、その犠牲となって死なねばならなかった人々、すなわち東京大空襲や大阪大空襲などで死んだ市民、沖縄戦に巻き込まれ犠牲となった市民、広島と長崎に落とされた原爆で死んだ市民、に対して誓うのがさきだろうと、私は思う。
 国会で、「総理大臣は国家の最高の指導者だ」と総理は答弁した。ならばなおさら、自然災害の犠牲者に見せたと同等の慰霊と鎮魂の姿勢を、「かつての国家が起こした戦争によって不条理に死んだ市民」に対しても示すべきではなかろうか。それが不戦を口にする「指導者」の当然の姿勢だと、私は思う。

 毎年、3月10日が来るたびに、あの夜の赤く焼けた空とそこを飛ぶ巨大な爆撃機の黒い影と、その2週間前雪の降りしきるなかで燃え落ちた我が家の光景が私の脳裏に蘇る。そして、あのとき死んだ人々には未だ本当に鎮魂の祈りは誰からも届いていない、と思うのだ。

(2014.03.11夜)

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