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エッセイ・コラム

涙の訳

木村 敏美

 「うちのお嬢さん」と言われ誰の事かと振り返ると私の事で、私はお嬢さんと呼ばれるのか、とその驚きを日記に書いている。
 50年も前、就職して間もない頃であった。郵政省の試験に合格し、郵便局から採用通知も来ていたが、郵政省管轄で福岡地方簡易保険局が女性天国と呼ばれる程労働条件が良いと聞き、是非ここに入りたいと思った。しかし誰一人知った人もなく、人事院が我家から近かった事もあり、思い余って、「保険局で採用試験がある時は是非お願いしたい」と一人で直談判に行った。私の生涯の中でこれ程思い切った行動をしたのは後にも先にもない。面接試験の時、局長さんはじめずらりと並んだ管理職の方々全員この事を知っておられたと後で聞かされ赤面した。

 幸い入局でき管理課人事係に配属された。係は殆んど年配の方ばかりで、皆若い私を可愛がって下さった。仕事も少しずつ慣れていき、カナちゃんという愛称迄付けてもらった。チヤホヤされる事等なかった私は嬉しくて、自然に冗談も出る様になり活発になっていった。又、現業課には若い人も多くサークル活動も盛んで文化部からスポーツ迄いろいろあり、バトミントン部へ入った時は、京都へ行って団体優勝という経験も出来た。係の人は良い人ばかりだったが係長さんは格別だった。辛口ユーモアで人を笑わせられるが筋を通され、毅然とされていて私は尊敬していた。
 ある日、人事係の飲み会があり隣にいた係長さんが、ふと私に「カナちゃんは片親とは思えないなー。こんなに明るくて素直で」と言われ急に涙があふれ出た。皆が見ている、止めなければと思う程涙は止まらなかった。翌日係長さんがそっと「昨日は何か悪い事言ったかな。何故泣いたのかね」といつもの悪戯っ子の様な表情とは違った感じで言われたが、又何も言えず俯いて黙っているだけだった。
 小学校の高学年の時大きな出来事があり、心が折れ、高校に入ってからも内気から脱皮出来なかった。しかし就職して初めて可愛がられる経験をし、自然に人とも話せる様になった。
 思いがけず受けた優しい言葉に、性格で悩み続けていた私は嬉しさと戸惑いが交錯した。折角お嬢さんと呼ばれる様になったのに。明るい人のままでいたかった。
 その後も「僕はカナちゃんを泣かせてしまったもんなー」と言われる事があったが、最後まで何も言えなかった。2年程で係長さんは別の課に変わられ、私は4年間で職場を去った。

 今は、辛かった時代も一つの通過点として受け入れられ、ここ迄来られた事に感謝している。又、楽しい思い出の詰まった職場での4年間は私の宝物でもあるが、若くて未熟だったので後悔することも多い。今思うと、父を亡くし頼る人もなく人事院まで一人で行った私を、係長さんは応援して下さっていたのだ。一言あの涙は嬉し涙であった、と伝えればよかった。
 その当時の係長さんの年を遥かに超えてしまった今でも、時折思い出される青春の一ページである。

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