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エッセイ・コラム

葬儀参列の日々

平尾 富男

 そういう年回りなのだろうか。今年一月末に義理の叔父が亡くなって以来葬儀が続き、喪服を着る機会が増えている。
 葬儀では一般的に、宗派はともかく仏教の僧侶が経を読むのが普通だ。参列者が必ずしも仏教徒であるわけではないが、今の日本の仏教が「葬式仏教」と呼ばれる所以である。

 逝去した叔父は、家内の幼かった頃に亡くなった父親の弟だ。住まいが我が家から近かった上に、義理の叔母が筆者と齢が同じだったこともあり、昔から家族ぐるみで親しくお付き合いをしていた。
 入院治療中とはいえ、享年七十九は早過ぎる他界だったから、残された家族・親族の悲しみは一入である。二月初旬に通夜と告別式が行われ、三月十五日に多摩墓地での四十九日(納骨)法要となった。

 三月二日には、かつて一緒に大学受験勉強をした一つ年上の従兄の七回忌法要があり、日暮里の谷中霊園に墓参した。六年前に亡くなった当日、従兄の妻から四国に旅行中の筆者に、携帯電話で知らせが届いた。痩せてはいたが至って健康だったから、突然の早世には驚かされた。未亡人になったばかりのその人が、「今朝、私にもコーヒーを淹れてくれた後、突然椅子から崩れ落ちたの。あっと言う間の出来事だったわ」と言って電話の向こうで激しく泣き出したのを思い出した。
 老舗料理屋でのお清めの宴席で、盃にお酒を注いでくれる喪主に当時のことを囁くと、爽やかに、そして艶めかしく微笑んだ。「今日で大役が終わってホッとしたわ」

 その翌日の三月三日に、九十一歳の義理の伯母が老衰で亡くなったとの知らせが入る。十日そして十一日、通夜と告別式が続いた。義母の二歳年上で介護施設に入って十年になっていた。数年前から認知症が進んでいたが、病気らしい病気に罹らず、安らかに眠るように昇天したと施設の代表者から伝えられた。納骨は四月二十日、所沢霊園
 同じ霊園で家内の母の七回忌法要が四月六日に行われる。義母の実家のある練馬に近い料理屋に、近親者を集めてのお清めの宴を準備するのも一仕事になる。

 その七回忌法要の二週間前、三月二十二日には、お彼岸で渋滞の激しい中、所沢の霊園に墓参りに出掛ける。ここには筆者の両親も眠っているから、春秋のお彼岸とお盆の節には、妻と二人の子供たち夫婦、三人の孫、そして筆者の弟夫婦たちが集まっての墓参となる。その際には、生前お酒が好きだった両親を思い出しながらのお清めの宴席はいつも大賑わいだ。
 所沢への往路は自ら車を運転するが、帰りは家内の運転で心地よい酔いに身を任せ、後部座席で横になって休むのが常である。出来の悪い息子を見詰める亡くなった母の呆れ顔を夢見ながら……。

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