50年後の息子探し
本来神の教えを忠実に守り、厳しい戒律の下で生活する施設であるべきカトリック女子修道院に、有るまじき忌まわしい過去があった。今から半世紀以上も前のアイルランドで、過酷な強制労働と養子斡旋事業を隠れ蓑にした人身売買が行われていたというのだ。
2012年2月になって、修道院内での強制労働について政府の関与が指摘される報告書が出され、首相が謝罪させられる事態となったが人身売買については表沙汰にならなかった。
実在する女性の息子探しを描いたノンフィクション、『フィロミナ・リーの失われた子供』が2009年に出版された。この実話は、英国の名女優ジュディ・デンチ主演で2013年に映画化され、日本では『あなたを抱きしめる日まで』(原題“Philomena”)の邦題で公開されている。
アイルランドの貧しい家庭に生まれながらも、カトリック教徒として育った十代のフィロミナが妊娠して、アイルランドのロスクレアにある女子修道院に入れられた。カトリック教徒が大半を占める当時のアイルランド社会では、「堕落した女」の烙印を押されるのは避けられない。家族の恥、社会の恥として収容され、洗濯等の強制労働で働かされる。修道院で生まれた自分の息子、アンソニー・リーに会えるのも1日に1時間でしかない。
やがて子供が3歳になると、アメリカ人夫婦に、孤児として養子に出されるが、生みの母親にはその行先は一切告げられない。修道院は養子先から寄付と称してお金が支払われていたが、公表はされなかった。
修道院を出た主人公フィロミナはイギリスで暮らすようになったが、50年後にふとした縁でオックスフォード大学出のジャーナリスト、マーティン・シックススミスと一緒に、息子探しの旅に出るというのが映画の内容である。フィロミナに同行したマーティンが、この旅の終わりに映画の基となったノンフィクションを書き上げることになるのだ。
アメリカに渡った二人が発見したのは驚きの事実の数々だった。アンソニーがアメリカの養子先でマイケル・ヘスとして成人し、エリート街道を邁進したことが判明したのだ。レーガン、ブッシュ・シニア時代の共和党政権下で法律顧問、選挙戦略参謀として活躍したことを知って、フィロミナは大いに喜ぶ。一方でホモセクシャルであったマイケルは、当時アメリカ社会で蔓延していたエイズに感染して、遂に帰らぬ人となっていたことも明らかになっていく。
マイケルがホモだったと聞かされても、フィロミナは動揺することなく、「そう、知っていたわ」と受け入れるのだった。フィロミナの素朴な純真さは、10代の頃の自分の過ちを過ちとして認めながらも、大人になった今、当時の自分の行為を振り返って、「セックスって素晴らしいのに、神様はどうしてあの快楽を罪としたのかしら」と言わせるほどに天衣無縫で明るいのだ。
さて、50年後の息子探しの最後は信じがたい奇跡をもたらす。息子のアンソニー(マイケル)は実母のいる筈の母国アイルランドへの埋葬を希望していて、まさに自らが生まれたロクレアの地で眠っていたのだ。神の導きか、フィロミナは幼いアンソニーと生き別れた土地での再会を果たした。
最後まで旅に同行したマーティン・シックススミスが、T・S・エリオットの詩「リトル・ギディング(Little Gidding)」の一説を口にすると、文学の世界には蒙昧なフィロミナが、「あら、素敵な言葉ね」と呟く。ジュディ・デンチの演ずる天真爛漫なフィロミナの振る舞いが、本来暗く悲しい物語から観客を救ってくれる。
まさに彼らの旅の終わりはその詩の一説が語る通り、旅の初めに戻る結果となったのだ。
― We shall not cease from exploration
And the end of all our exploring
Will be to arrive where we started
And know the place for the first time.
(探し求めることを止めてはならない
その努力は最後には報われて
出発した元の場所に行き着くのだから
そして、その場所を初めて知ることになるのだ)
修道院によって最愛の子供から引き裂かれた母は、半世紀を隔てて、息子が生まれた場所で息子の墓標を見詰め、「私は修道院を許すわ」と呟く。修道院のシスターたちよりも深く敬虔なクリスチャンとしての心を失わないフィロミナの生き方は、本来信仰とは何かを無神論者のマーティンに身をもって示してくれたのだった。
付記:アメリカのニュー・ヨーク・タイムズ紙が2014年1月に、“Searching for Philomena’s Real Son, Behind ‘Philomena’ the True Story of Michael Hess”という記事を掲載して、この母と子の物語を紹介している。
(2014.04.13)