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エッセイ・コラム

三代揃っての巡礼行

池田 隆

 息子、孫と一緒に男三代で坂東三十三所札所を巡り、孫の中学入学式の前日に目出度く結願した。
 孫は私の笈摺(おいずり)と輪袈裟(わげさ)を借りて身なりを正し、神妙に「観自在菩薩 行深般若波羅蜜多時 ……」と般若心経を大声で唱える。息子も私もそれに合わせ声を張り上げる。三人の読教の声は静かな境内に響く。巡礼を始める前には想像もしていなかった光景だ。
 そもそもこの巡礼を思いついたのは鉄道好きの孫とふたりで両毛線や八高線へ列車日帰り旅に出かけた時である。坂東三十三札所をオリエンテーリングのチェックポイントのように見立て、関東各地を巡る。帰ってからそれを孫と息子に話すと、彼らもおおいに乗り気になって詳細な計画を立て始めた。
 息子がまだ小学生だった頃、私とふたりで東京の自宅から赤城山北麓まで父子マラソンを敢行したことがある。地理や理科などの知識を現地で実物に即しながら教えたかった。さらにはその行程で父子のこころの結びつきをより強め、息子の身体能力を高めることも期待した。
 彼はその幼い頃の経験を思い出していたのだろう。今回は父子だけでなく、祖父の私も加わり、男三代。私自身はすでに西国三十三所、秩父三十四所を徒歩で歩き終えており、今回坂東を巡れば、いわゆる百観音満願となる。念願の目標達成で、これまた嬉しい限りである。
 巡礼ではどの霊場でも敬虔な気持ちとなる。納経帳に御朱印を頂く度に目標に近づく喜びがある。往き返りの車窓から見る景色や長閑な田舎道の散策、歩き終えた後でのご当地の食事や温泉も堪えられない。
「巡礼をされて、どうでしたか」とよく人に尋ねられる。改って考えると、とくに何かの悟りを得た気もしない。ご利益は果たして有ったのだろうか。今回の後半は三人で家内の大病快癒を真剣に祈っていた。その願掛けがきっと通じたのだろう、家内は全快に向っている。
 孫の卒業式でのスナップ写真を見た。校長先生から卒業証書を受け取る端然とした姿は少年から青年へ第一歩を踏み出す人間の啐啄(そつたく)の瞬間に見える。ここまでの精神的成長には巡礼も一役を担った筈だ。
 ただ、それらの論理的証明は難しい。確かに言えるのは、巡礼行を通じて自然や神仏に対してより謙虚な気持ちとなり、満願達成で最後までやり抜く力と喜びを授かり、旅自体を皆で楽しめたことである。
 三代揃っての巡礼行の記憶は息子や孫の心にいつまでも深く刻まれることだろう。息子が祖父、孫が父となって、まだこの世に現れていない曾孫が子となり、その三代で西国三十三所などを楽しく巡っている三十年後の様子が目に浮かぶ。そこでは彼らのこころの奥底に乗った私自身が「目には見えないけれど、同行四人だよ」と微笑んでいる。

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