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エッセイ・コラム

孫に伝える

西川 武彦

 父親の実家は琵琶湖につながる内湖のほとりにある。庭が大中小と三つもあり、ちょっとした古民家だ。
 父には兄弟が多かったから、夏休みのお盆には、離れて都会に住む小学生の孫たちが大勢集まり、魚釣り、花火、水遊びなどに興ずるのが慣わしであった。家の前にあった船着場からの灯篭流しも懐かしい。
 我が家にあてがわれたのは仏間に続く客間だった。毎朝祖母が仏壇で木魚をポクポクと叩く音で目を醒ますと、欄間の格子をとおしてうっすらとお線香の香りが漂ってきた。
 小学校から中学時代にかけての懐かしい思い出で、仏様との出会いでもあった。

 サラリーマン時代、慌しく高度成長を走りぬける間、国内外の転勤が続いたりして、子供たち共々、仏様とのご縁はすっかり遠くなってしまった。

 お線香の香りが我が家に戻ったのは、三年半前に母が九十六歳で天寿を全うしてからである。長男である筆者の家に仏壇が置かれることになると、ご先祖が生前そうしていたように、なぜか毎朝お線香を焚いて、軽く合掌するようになった。小さい頃の思い出が甦ったに違いない。父が他界した年齢を超えて喜寿になった今、仏心がついたのかもしれない。
 我が家で行なわれる仏事には、小学生や保育園の孫たちも参加する。彼らの楽しみは、ジージやバーバ、そして両親たちに倣って仏壇の前に座り、蝋燭でお線香に火を点し、チーンと鈴(リン)を鳴らしてから手を合わせることである。法事で頂戴したお線香が溜まっているから、ときに異なる香りが流れると、「いい匂い!」とつぶやいたりしている。
 筆者の子供時代にくらべると、ぐっと数が減ったものの、従兄弟や従姉妹と、これまたひとまわり小さくなった都会の我が家でこのように、仏様を拝む。
 仏壇に飾った亡父・亡母の遺影が頬を緩めて彼らを見下ろしているようだ。

 こういう伝え方、伝わり方を大事にしたいものである。

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