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エッセイ・コラム

ほんの一言

西田 昭良

「お降りのお客様はバスが停留所に着いて、扉が開いてから席をお立ち下さい」
 耳にタコができるほど聴かされる車内アナウンスである。
 最近高齢者の乗客が急増して車内での転倒事故が多くなった。それに伴って、執拗に喚起を促すようになったそうだ。朝夕の通勤時間帯は別にして、昼間のバスの乗客は殆どが高齢者だ。
 また高齢者の乗降にはけっこう時間が掛るし、運転士は車内の安全を確かめてから、おもむろに発車する。僅かではあるが、それらの所要時間が積み重なって、時刻表が無意味になるような大幅な遅延が起こる。道路渋滞も重なる。
 或る日、停留所に着いて降車扉が開いた。しかし誰も降りる気配はない。乗客たちは「・・・?」と周囲を見渡した。交差する視線の裏には「早くしろよ」という声が隠れている。客の中にはセッカチの人がいるだろうし、少しでも早く目的地に着きたい、と気が急いている客もいるだろう。私もこれ以上遅れると病院の予約時間に間に合いそうもない。もう既に10分以上も遅れている。
 ややもして、
「ちょっと待ってくれ、尻が上がらねえんだ」と杖を持った老人が懸命に立ち上がろうとしている。他の乗客の気持を咄嗟に察知したこのほんの一言で、車内の空気はいっぺんに和らいだ。傍にいた女性が手をかしてやった。
 いい光景である。どんなに急くことがあっても、どんなにセッカチな人でも、緩慢な動作の高齢者の心の中に一度は入り、明日は我が身、と思った時、その人の心は湖のように闊達(ひろやか)になる。
 何巻もの全集ができるほど〝失言〟の多い日本の政治家(屋)たち。彼らが一度でも国民の心の中に入ったことがあるだろうか。あるならば、最近の或る大臣の〝金目〟発言や、都議会議員の無神経な〝セクハラ野次〟が飛び出す筈がない。そんな彼らに国民のための政(まつりごと)が出来る筈もない。
 もっとも、そういう精神構造の持ち主を選ぶ国民にも責任が無くはない。「平家を滅ぼすは平家」である。改憲やら集団的自衛権が騒がしい今こそ、国民の刮眼はより鋭さを増さなければならない時だろう。

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