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エッセイ・コラム

伊藤博文の国際感覚

大平 忠

 伊藤博文に関する資料に一つ出合った。
 1906年5月22日、朝鮮統監であった伊藤博文が招集した「満州問題に関する協議会」の議事録(注1)である。伊藤はこれに先立ち原稿用紙30枚に及ぶ意見書を書いている。伊藤の危機感はそれほど大きかったのだ。
 この意見書に基づく伊藤の演説の主旨は次のようだ。

 日露戦争は1905年9月、ポーツマス条約の締結を持って終結した。満州に向けて各国は輸出を開始したが関税を取られ日本品だけは関税が無い。抗議が各国政府から寄せられている。しかるに政府は外務省と軍部との調整整わず回答もできない。
 日本は戦争の結果、旧ロシアの持っていた満鉄の権益を引き継いだが、満州に軍政を引く権利は無い。さらに、満州はあくまで清国の領土である。軍部の条約範疇外の行動は、各国の疑義を招き清国をも離反させる行動である。即刻中止し、各国との信頼関係を取り戻さないといけない。特に我が国の財政は英米に背かれると今後について大きな支障が生じよう。

 一言でいえば、満州の門戸開放と清国の主権回復に疑いを生じる振舞いをすれば、日本は国際的に孤立していくと伊藤博文は警鐘を鳴らしたのであった。
 この会議に伊藤が招集したのは、国の中枢を担う全員であった。西園寺総理、山縣有朋、大山巌、松方正義、井上馨、大蔵・外務・陸軍・海軍各大臣、児玉源太郎参謀総長、桂太郎、山本権兵衛である。
 児玉源太郎の「外国の例を見るとすべて不当という訳ではない」との抗弁については、「心配なのは米国の世論である。政府は世論で政策を変える」(注2)と論破している。
 協議会決定として、全員一致すべて伊藤の意見通り対処することになった。しかし、その後の成り行きは伊藤の危惧した方向へと向かい、日本は孤立しやがて戦争への道を進むこととなる。

 伊藤博文は、世界の中で日本はどうあるべきかの感覚を他の政治家と比べて突出して持っていたといえよう。偉大な政治家であったと思う。

注1、日本外交年表並主要文書上巻 外務省
注2、岡崎久彦『小村寿太郎とその時代』

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