清春芸術村
清春芸術村は、中央高速道の長坂インターから約15分のところにあった。姪が浅間山麓の嬬恋村から東京へ帰る途中、わざわざ遠回りして連れて行ってくれたのである。姪は最近、この清春芸術村に惹かれて半年に一度はやってくるそうだ。私は今まで聞いたこともなく、どういうところかと尋ねると、「一口では言えない、まあ行けば分かるから」と、問答無用で連れて行かれた。
この日は天気が良く、小海線沿いの八ヶ岳の景観を楽しみながらの快適なドライヴであった。お目当ての清春村(今は北杜市)に近づくと、なにやら丸い屋根の大きな不思議な形をした建物が見えてきた。あれが美術館かいと聞くと、 そうではない、これも行けば分かると言う。怪訝な気持のままたどり着いた。
門があって大きな表札に奔放な字で「清春芸術村」と書いてある。梅原龍三郎が書いたとのこと。門の脇に四つの大きな力強い像が立っている。足下にザッキンとある。私でも知っている高名なフランスの彫刻家だ。
正面から見上げると丸屋根の建物は3階建てで実に大きい。姪の説明が始まった。これはパリのエッフェル塔のエッフェルが造ったものとそっくりに建てた。内外の芸術家が生活しながら制作できるようになっている。全部で28のアトリエ付き小住宅が入っているという。しかし、現在使われている様子はない。建物の名前は「ラ・リューシュ」。蜂の巣の意味で、その外観が似ているから名付けられたとか。かつてパリ・モンマルトルの「ラ・リューシュ」では、新進気鋭のシャガール、モジリアーニたちがここで修業して巣立っていったという。
ところが「ラ・リューシュ」だけではない。芸術村というだけあって広い敷地にいろいろユニークな形状の建物が点在している。聞けばここは廃校になった小学校の跡地だったとか。なるほど広い筈だ。建物としては、「清春白樺美術館」はかなり大きいが、コンクリート打ちっぱなしの外観である「光の美術館」「ルオーの教会」は小ぶりである。「光の美術館」は安藤忠雄の設計だそうで、クラーベという抽象画家の作品が展示されている。「ルオーの教会」は、ルオーが作成したステンドグラスがはめ込まれ数枚のルオーの絵が飾られただけの簡素な教会である。敷地の隅には梅原龍三郎の旧宅から移転してきたという立派なアトリエがあり、その前庭には小林秀雄宅から移植したしだれ桜が植わっている。遠い方の隅には木の上4、5メートルはあろうか、茶室だという小屋が見える。その他にも「白樺図書館」、洒落た「ラ・パレット」なるカフェがある。これだけ建造物があっても小学校の跡地はまだまだ広い。閑散とした感じである。見学者が少ないせいもあろう。
そういえば、姪は、いつ来ても来観者は数名ぐらいしか行き会わないという。この日は日曜日というのに10名も見かけただろうか。
「白樺美術館」に入ってびっくりした。中身は充実している。まず、岸田劉生、梅原龍三郎、中川一政などの絵画、ロダン、高村光太郎の彫刻、この時期は東山魁夷の特別展をやっていた。その他に志賀直哉、武者小路実篤等白樺派の原稿がびっしり展示されていた。
美術館の人に聞くと、この「芸術村」は、銀座の吉井画廊の主人が34年前に小学校跡地を買い取りすべて私費で始めたものという。絵画、彫刻類は全部私物だとか。いま展示されているおびただしい東山魁夷の版画も画廊の主人吉井さんに贈呈されたもので売り物ではない由。芸術の世界に疎いとはいえ、見るもの聞くことびっくりするばかりであった。姪は驚く私の顔を見て、我が意を得たりという顔をしている。それにしても、なぜ白樺派ゆかりの作品を集めているのだろうか。千葉の我孫子にある「白樺文学館」に行ったことがあるが、そこで白樺派は美術館を作りたかったが、残念ながら資金で行き詰まり、大原孫三郎に作品を委ねて倉敷の「大原美術館」に一部展示されるようになったと聞いたことがある。その昔の白樺派の夢を吉井さんは叶えようとしたのだろうか。
素敵なカフェもお客は我々だけである。「ラ・パレット」の名のごとく店の壁には名のある画家たちのパレットがたくさん掛けられており、見る目を楽しませてくれた。
姪は、春の桜が咲く頃に来たいという。私も同感と頷いた。敷地の周囲には桜の古木が取り巻き、以前は小学生が眺めた桜の花はさぞかし見事に違いない。青空に八ヶ岳を望んで満開の桜を是非見たいと思った。
それにしても、東京から相当不便としかいいようのない清春に思いを込めた吉井さんとはどういう人なのだろうか。もしこれだけのものが東京の近くにあったら休日は大変な人であふれるのではないかと思う。今は使われてないようであるが、「ラ・リューシュ」ももっともっと有効に生かされるのではないか。しかし、そんなことも想定しながらなおかつ八ヶ岳と桜に魅了されて清春に決断したのであろう。
吉井さんは、「ラ・リューシュ」のような途轍もないものを作ろうとどうして思い立ったのか。白樺派の人たちとどういう繋がりを持ちどうしてこのような美術館を作ったのか。ルオーの娘さんからルオーが3枚しか作らなかったというステンドグラスをなぜ貰えたのか。画廊として成功したとはいえこれほどのものを作ることのできた財力はいかにして、などなど興味は津々と湧く。
美術に関心ある人でもたとえ無い人でも、「清春芸術村」は、一度は必見の場所であることは間違いないであろう。いいところへ連れていってくれた姪に感謝である。
(平成26年8月18日訪問)