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エッセイ・コラム

高尾山

金京 法一

 久しぶりに高尾山に登った。去年は家庭の事情で、出かけられなかったが、それまでは最低月一回は登っていた。今年も三月と四月に一回づつ登ったが、それ以降はご無沙汰であった。理由は特にない。天候が思わしくなかったり、膝が痛かったりと適当な理由で見合わせていた。

 高尾山は標高五百九十九メートルの低山である。登山口やケーブルカーの麓駅は標高二百メートルで、ケーブルカーの終点は四百七十五メートルである。したがって歩いて登ると標高差は三百九十九メートルであるが、ケーブルカーを利用すると百二十四メートルである。

 今回は久しぶりということもあり、ちょっと足に自信がなかったので、登りだけはケーブルカーを利用した。したがって登山と言うにはやや安易な山登りではあった。それでも神社の中のかなり急な階段を何か所も登らなくてはならない。久しぶりということもあったがちょっと息切れがした。

 三十分ぐらいで頂上に着いた。昼時でもあり、持参の握り飯を食べた。山にはいつも少量の日本酒を持ってゆく。これをちびりちびりやりながら握り飯をかじるが、やがて陶然とした気持ちになってゆく。高尾山程度の山では、二千メートル級の山の場合のような達成感はないが、やや疲れた五体に日本酒がしみてゆき、それが醸し出すうっとりとした気分は何にもたとえ難い。周りを見回すと、豪華な昼食を楽しむ人、ビールを飲んで頂上を満喫する人、コンロでお湯を沸かしてラーメンを楽しむ人、いろいろである。

 リヒヤルト・シュトラウスが作曲した『アルプス交響曲』という標題音楽の大曲がある。夜明け前に出発し、一日山登りをし、夜下山する間の自然の素晴らしさや恐ろしさといったものを描いている。アルプスの嵩高さを賛美しているが、高尾山にはそれほどのものはない。しかし、山が与えてくれる癒しのようなものはふんだんに味わえる。

 久しぶりの高尾山もなかなかいいものである。これからは最低月一回の登山を続けよう。ケーブルカーではなく麓から歩いて登ろう。

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