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エッセイ・コラム

故障車と小枝(シンガポールの思い出)

木村 敏美

 私達夫婦は成人した子供達に誘われ、2005年と2013年の2度シンガポールへ行った。ツアーでなく手作り思い出旅行である。我家族は30年程前転勤で、シンガポールに隣接したマレーシアのジョホールバルに暫く住んでいた。子供達は学校がシンガポールだったので、この地を故郷の様に感じ、社会人になって訪れたくなったらしい。2005年の時以上に2013年の旅はその発展ぶりに驚かされた。舟形のプールを乗せたマリーナベイホテルを始め高層ビルが乱立し、広い埋立地に作られた公園には数々のレジャー用の乗物、斬新なデザインの博物館や植物園が見事で、シンガポールの象徴のマーライオンも霞む程だった。交通機関も地下鉄が縦横無尽に走り、カードさえ買えば何処へでも行ける。市街地に入ると地上は車中心で人は地下街を歩く様になっていた。淡路島程の国土は考え尽くされた設計で出来ていたが、以前と変わらないのは街中にある美しい並木だった。

 私はこの並木に忘れられない思い出がある。マレーシアには民族衣装に使われるバティックという伝統的な染物があるが、当時友人と二人でシンガポール迄習いに行っていた。布に絵を描き、蝋でなぞった後に色を付けて染め上げる。楽しくなった頃、友人が帰国となった。一人で車を運転し国境を越えて行く事に不安はあったが、諦めきれず通っていた時の事だ。市内で突然車が動かなくなった。何とか車を道の端に寄せ、外に立って途方にくれていると、通りがかりの男性が車を停めてくれた。事情を聞くと即座に傍の並木をポキッと折ってトランクに挟んだ。シンガポールでは車が故障した時こうして知らせるのだと言う。確かに常夏の国の並木は年中鮮やかな緑で遠くからもよく見え、木も至る所にある。それから修理工場迄連れて行ってくれ、車は修理でき、その日の内にマレーシア迄帰る事が出来た。シンガポールから帰れなくなったかもしれない事を思うと、見知らぬ人の親切はほんとに有難かった。バティックはその後帰国迄の1年程習い続け、イミグレーションでは日本人が画いている事で目を引いたのか検査官から「記念に欲しい」と冗談交じりに言われた。また、マレーシアで主人と同じ職場で働いていた現地の人が、昨年家族連れで日本旅行に来て我が家にも立ち寄った時、バティックの絵を見乍ら話も弾んだ。

 今度の旅行では電車内で席を譲ってくれたり、乗り換えで戸惑っている私達を察して乗り方を教えてくれ、人々は今も親切であった。子供達は通っていた日本人学校を訪れ、今働いている先生とも話ができ、懐かしさで一杯だった。唯、高層マンションの窓から突き出した物干し竿の数知れぬ洗濯物は見られなくなり、鬱蒼とした並木や道路沿いの観葉植物の傍には虫一匹いない。地下鉄には駅員はおらず、時間が来れば扉は閉まり、運転手のいない電車は自動的に走り出す。水陸両用のバスに乗り、その発展に圧倒されながらも、生活の臭いが感じられなくなっていた。
 車が故障したら今も小枝を挟む習慣は続いているのだろうか。あの日の親切に感謝しつつ、この習慣は続いて欲しいと思った旅でもあった。

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