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エッセイ・コラム

猫の鈴 腰にぶらさげ 徘徊し(酔雅)

西川 武彦

 卒サラして、満員電車の通勤がなくなると、暫くはほっとするものの、そのうちに人が恋しくなります。たまに乗る昼過ぎの電車はがらがらで、肌というか身体の接触なんてありえません。若い乗客たちは、爺様の姿など眼中になく、両耳にイヤフォンを差し込み、スマホに熱中する「ながら族」ばかりです。
 ちょっぴり寂しくなって、たまに対面の妙齢の美女が降車口に向かうと、色香のぬくもりが少しは残っているその席に何気なく移るから情けないではありませんか。
 兼題「香る」で、ご隠居が詠んだ一句は、「柔肌が 香る座席に つと移り」(酔雅)

 そういえば、似たような柳腰とふとした機会に知り合い、三度目のデートでホテルに誘ったのを思い出します。そろそろ古希を迎える頃だったでしょうか。細工は上々、一度は竿を垂れて引っ掛けたと思いきや、なぜか獲物をとり逃がしてしまったのです。
 兼題「未練」で、ご隠居の詠んだ一句は、「いつかまた 未練残して 竿おさめ」(酔雅)。

 若い女性に代わって付き合ってくれるのが孫娘。リビングを這いまわる彼女の可愛いお尻を追って這い這いすると、紛失したと諦めていた万年筆が長椅子の端に隠れているのを発見したりします。
 兼題「這う」で、ご隠居が詠んだ一句は、「孫のあと 這ってみつけた 別世界」(酔雅)

 そうこうするうちに、孫たちも七五三の年頃に…。良い子に育ちますように、とお宮参りで祈願します。お賽銭も一円玉で誤魔化すようなことはしません。奮発して五百円玉を二つ。孫は千歳飴の袋をぶら下げて満面笑顔。片やご隠居の方は、順番で待たされたせいもあって、目はかすみ、足腰はふらついています。折からの突風で、アデランス代わりの黒い毛糸の帽子を飛ばされると、粗いバーコードが…。喜寿を迎え、平均寿命まで幾何もないのだから、万事やむをえないのでしょう。
 兼題「宮」で、ご隠居が詠んだ一句は、「宮参り 終われば孫たち 墓参り」(酔雅)
 家に戻って新聞を拡げると、少子高齢化時代における年金の財源問題が特集されていました。
 兼題「亀」で、ご隠居が詠んだ一句は、「鶴と亀 増えて財源 先細り」(酔雅)

 年下の連れ合いや子供たちにご迷惑を掛けまいと努力はしたのですが、それから十年経ち米寿を迎えると、もういけません。兼題「鈴」で、ご隠居が、その昔詠んだ一句にこんなのがありましたっけ…。「猫の鈴 腰にぶらさげ 徘徊し」(酔雅)
 一足先に天界入りした愛猫のあとを追っているのかもしれません。

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