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エッセイ・コラム

古代インド社会 ~仏教が生まれた背景~

斉藤 征雄

 紀元前1500年ごろアーリア人が侵入して成立した古代インド社会は長く部族単位で統率された社会だった。しかし、鉄器の使用によって農業生産力が飛躍的に高まったことを背景にして次第に権力の集中が生じた。その結果部族社会はより広い単位にまとめられそれを有力な部族の長が王となって治める形が生まれたのである。
 こうして形成された国は覇権を争って離合集散を繰り返したが、紀元前六百年頃には十六大国と呼ばれる国々が成立していたとされる。これらの国の中には領国国家として成長し強大な政治的単位を成すものもあった。中でもガンジス川中流域のマガダ国と中インド西北のコーサラ国は最も強力だった。
 各国はそれぞれ都城をもち、都城は王を中心とする政治、軍事の中核として機能するほか、都市として市民社会が形成される場ともなった。

 政治的な変化とともに、交易を中心とする経済活動も盛んに行われた。有力な商人はギルドを傘下に置いてそれを基盤に都市と都市、国と国の間で交易し、時にはインドの域外にまでルートを広げて貿易を行っていた。これらの大商人は巨万の富を得て、仏典にもしばしば長者という名称で登場する。

 宗教面では、人びとは自然を崇拝し供物と賛歌をささげて祈り祭祀を重視した。その宗教をバラモン教という。祭祀を司るバラモンは、宗教的権威とともに世俗的権威も備えていたが、政治的、経済的変化が生じたことで王侯、貴族階級や大商人などがバラモンに対抗する新たな勢力として台頭した。

 一方、この時代には多くの沙門と呼ばれる出家者が生まれたらしい。遊行生活を送る彼らの多くは新しい思想家であった。 都市の出現は彼らに格好の場所と、彼らの思考に自由の気風を与えたといわれる。新しい思想家に共通するのは、既に形を成しつつあったカースト制度や腐敗堕落したバラモン的社会をことごとく否定するものであった。そして王侯、貴族や大商人は新しい思想家の支持者となった。
 仏教を開いたブッダは、こうした新しい思想家の一人だったのである。

(仏教学習ノート②)

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