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エッセイ・コラム

集団主義的国民性が怖い

西川 武彦

 小学校二年生の夏、終戦を疎開先の長瀞で迎えました。「一億玉砕」は免れたものの、日本は経済的にほぼ全てを失いました。戦前に財を成した母方の祖父が、戦乱で全てを失い、蚕小屋を改造した借家から、リヤカーで葬儀場に運ばれたのが目に刻まれています。
 焼野原の東京に戻り、受験・就職・子育て・介護など、自分なりに精一杯頑張りました。
 その間、特需の神風もあり、世の中は、普及したTVの低俗化などで、「一億総白痴化」といわれるほど大衆・平均化。「一億総中流化」の幻を経て、バブルが崩壊すると、国民は飽和飽食の中を彷徨います。今では、難しいことには我関せず、投票にも行かないでスマホに明け暮れる「一億総ながら族」に変身。そこに現われたのが右向け右の宰相です。

 朝ドラ「マッサン」のエリーが脱いだという宣伝に釣られて求めた「週間現代」に可笑しなエッセイが載っていました。轡田隆史さんの「人生のことば」です。抜粋します。
「天国の入り口で神さまが『入国審査』をしている。『入国』を希望する人は、自分が何者であるかを証明しなければならない。まずアインシュタインがやって来た。神に問われて『相対性理論を考えたアインシュタインです』と答えて許可された。次にピカソが来た。
 何者だ、と神が問うと『ゲルニカを描いた画家ピカソだ』と答えた。神は、『なるほどピカソだ』といって天国入りを認めた。次にやってきたのはブッシュだった。神が、『君は、自分が何者であるかを証明しなければならない。すでにピカソやアインシュタインがやって来たぞ』というと、ブッシュはキョトンとして『ピカソ、アインシュタインって、一体、何者なんだ?』と首をかしげた。神は即座に、『うん、お前はブッシュに間違いない。さあ、入りたまえ』と許可した」。
 二代目ブッシュがいかに知性、常識に欠けるかをからかうジョークである。
 4月28日の東京新聞「筆洗」にも、同じようなジョークが載っていた。その部分だけを抜粋すると、
「あいつは三塁の上で生まれた」。米国政治の世界では、野球を比喩に使った表現がしばしば登場する…。「三塁生まれ」は、「根っからの野球ファン」という意味ではない。政治家への痛烈な「悪口」である。裕福な家に生まれ、甘やかされて育った人間をいう。父親が大統領だったブッシュもそう批判されていた。最初から三塁にいれば、得点を挙げるのはたやすい、云々。

 振り返って、わが政界には、アベ首相以下、「三塁生まれ」がお揃いのようです。天国で入国審査を受けたら、合格するでしょうか?
「一億総…族」のお国柄であります。これからどうなるのだろうか…。散歩で、スマホに夢中の若者たちを危うく避けながら、ご隠居は呟いています。

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