ブッダの説法 2.初転法輪
ブッダの最初の説法を、初転法輪という。ブッダは80才で入滅するまで45年にわたって遊行しながら説法を繰り返したが、初転法輪はその説法の原型とみてよい。
ブッダが最初の説法の相手に選んだのは、かつて苦行時代を共にした五人の出家者達であった。ブッダは悟りを開く前の六年間、この五人の仲間と断食や止息など、ほとんど死に等しい状態に陥る厳しい修行を行った。しかしそれ程の苦行にもかかわらず修行は実を結ばなかった。そこでブッダは苦行を捨てて、一少女のささげる乳粥を飲んで生気を取り戻して菩提樹の下での瞑想に入った。それを見た五人は、ブッダが挫折して奢侈に堕したと思い、ブッダを軽蔑したのである。
そのような五人がブッダの説法を素直に受け入れる筈はなく、最初はまったく耳を貸さなかった。しかし、ブッダの確信に満ちた表情に何かを感じた五人は、やがてブッダの説法に耳を傾け始め、遂に一人がブッダの説法を理解納得すると、後の四人も次々とブッダの説法を受け入れた。
そこまで到達するには幾日もの期間を要したという。恐らく激しい議論が交わされたことが想像される。五人は当時のインドで自由に思索する新しい思想家達でもあった。ブッダは最も過酷な相手に対して説法を試みて理解を得ることに成功したのである。
説法の内容は、苦を滅して涅槃寂静の境地に入る実践的な体系が述べられているだけで、ブッダの悟りの内容を示す哲学的なことには触れられていないことが注目される。たとえば無常、無我の問題には一切触れず、縁起という言葉も使われていないのである。それは哲学を放棄したことを意味しない。凡夫に無用の混乱を招き修行に益しないのであれば、哲学的なことは背後に置きながら実践を説くというのがブッダのスタンスだったという。
あくまで想像にすぎないが、五人の仲間とブッダが議論した際、この思想をいかにして人びとに説いて理解を得るかについても議論が及んだであろう。そのなかで考え出された戦略戦術が初転法輪に反映しているのではないかと思う。
こうして仏教の顔である説法が、宗教的実践体系として周到に準備されたのである。
ブッダが説法で敢えて触れなかった哲学的な事項は「無記」と呼ばれる。
(仏教学習ノート⑨)