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エッセイ・コラム

ブッダの説法 3.四諦(したい)の教え

斉藤 征雄

 初転法輪の骨子は、四諦の教えといわれる。苦集滅道の四つの真理を説く四諦は、ブッダの教えの全貌を最も簡潔に表現したものといわれ、仏教の実践のあり方を示している。
苦諦:人間の生存についての真理(人間の生存は苦を本性としており、一切皆苦である)集諦:苦の原因についての真理(苦の原因は渇愛。欲望に対する渇愛が煩悩である)
滅諦:苦の滅についての真理(渇愛を滅したときに、絶対の平安=涅槃が得られる)
道諦:苦を滅する方法についての真理(正しい八つの道=八正道を実践することである)

 四諦の中ではブッダが悟った哲学的なことは説明されていない。しかし、人間の生存は一切皆苦であるという裏には諸行無常があることはいうまでもない。そして苦は、渇愛がある故に生起するとブッダはいう。そして、渇愛を断てば苦も滅することができるという。この論拠は、縁起の法そのものである。
 渇愛には、性欲に代表される自己延長の欲求(欲の渇愛)、食欲に代表される自己保存の欲求(有の渇愛)、名誉権勢の欲求(無有の渇愛)があるというが、渇愛を欲望そのものと理解するのは間違いである。渇愛のもともとの意味は、のどが渇いた状態をいう言葉らしいので、渇愛は欲望を求める激しい心の動きを指すとされる。したがって渇愛を滅するとは、欲望を求める心のいとなみを滅することで、欲望そのものを断つことではない。
 渇愛を滅したときに得られる絶対の平安が涅槃といわれる状態である。煩能の火が燃え盛る状態に対して、涅槃という言葉は火が吹き消された状態を意味する。

 苦から解放されて、永遠の平安=涅槃を得る実践修行の道が八正道である。八つの正しい道とは修業に際して、正しいものの見方(正見)、正しい思惟(正思)、正しい言葉(正語)、正しい行為(正業)、正しい生活(正命)、正しい努力(正精進)、正しい注意力(正念)、正しい精神統一(正定)を行うことである。
 正しいとは、真実という意味の他に不苦不楽の中道に立つということである。欲望にひたすら愛着する快楽主義も、無益な苦行にこだわることも両方が極端である。この極端を離れて、中道をもって実践の原理にするというのが、ブッダの説く宗教的実践の要である。
 そしてきわめて常識的で平凡とも見えるこの八正道を自ら実践すれば、渇愛の本質を客観的に観察する智慧ができ、自ら涅槃の境地に達する事が出来るという。
 救済者は自己自身なのである。

(仏教学習ノート⑩)

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