ブッダの入滅と仏教教団の発展
ブッダは35歳で悟りを開き、中インド各地を遍歴して教えを説いたが、80歳で入滅した。確定されてはいないが、北伝説から推定して紀元前383年とされる。
ブッダの入滅の様子は次のように伝えられている。
マガダ国の首都ラージャグリハを出て生まれ故郷のカピラヴァストウへと向かうのがブッダの最後の旅となった。説法しながら旅するブッダは、現在のネパールの国境の近くで信者のささげる食べ物にあたったのである。食べ物はきのこ料理といわれる。下痢と腹痛でたえだえになってクシナガラという街に着いたブッダは、弟子のアーナンダに「木陰に衣をたたんで敷いておくれ。私は疲れた。水を一杯汲んできておくれ」といったあと深い瞑想に入って静かに息をひきとった。いわゆる沙羅双樹の木陰といわれる。
これほど人間的な情景はない。そこには、後に神格化されたブッダではなく、死に臨む80歳の一老人の等身大の姿がある。
ブッダの教えとその実践法は決して特別なことではなく、むしろ常識的で平凡とさえ見える。ただ、はっきりしているのは、実践する主体は自分ということである。自己のよりどころは自己のみという考えが貫かれている。それはブッダが死に際して述べた「自己を洲(島)とし、自己を依り処とせよ」との言葉でもある。
ブッダは人間として生き、人間をあるがままに見ていた。その結果生まれたのが仏教思想である。それが時空を越えた普遍性の根源であり、その後の発展へつながっていく。
ブッダの死後、仏教教団は中インドから次第に西南方や北方へ発展していった。信者のうち出家修行者は集まって僧伽(サンガ)に入り、在家信者は出家者の指導を受けて修行するとともにサンガの出家者の生活を助けた。この両者で仏教教団が形成された。
そして仏滅後百年の頃つまり紀元前三世紀、マガダ国はマウリア朝のアショーカ王によってほぼインド全域に及ぶ大帝国に発展していた。アショーカ王は仏教に帰依し、仏教を政治の根本精神とするとともに保護した。各地に仏塔を建立、教団に莫大な布施をして援助した。また、スリランカには自分の子を派遣して布教させた。
アショーカ王の時代に仏教教団はめざましく発展し、インドのみならずアジア全体に広がる素地が出来たのである。
(仏教学習ノート⑫)