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エッセイ・コラム

仏教教団の分裂と部派仏教

斉藤 征雄

 仏滅百年、アショーカ王の頃、仏教教団は急速に発展しインド全域に広まっていったが、急激な拡大は教団内部の多様化を招くことになり、戒律の考え方にも地域によって差異を生じるようになった。 そうした中で、自由主義的な商業都市ヴェーサーリーの教団では戒律で禁止されている十の項目が守られていないことが、教団の長老(上座)たちの間で問題になり「十事は戒律に違反した非法である」との決定がなされた。これに反発した出家者たちが結集して大衆部という部派を作った。
 ここに仏教教団は、保守的な上座部とそれに対立する革新的な大衆部の二つの部派に分裂したのである(根本分裂)。最も大きく対立したのは、出家者が金銭を蓄えることを認めるかどうかという点にあったといわれる。
 一度分裂した仏教教団はその後歯止めなく分裂を繰り返した(枝末分裂)。分裂の理由は戒律の解釈にとどまらず、教理について新しい説を打ちだす部派も多かった。根本分裂の後の最初の百年は大衆部が分裂し、次の百年で上座部が分裂した結果、紀元前二世紀末には計20の部派が生まれたとされる。こうしてインド仏教は部派仏教の時代へ入る。

 ブッダは遍歴遊行して生涯を終えたが、ブッダの死後出家者は次第に僧伽(サンガ)に定住し遊行の習慣を棄てるようになった。僧伽は、王侯、貴族や商人たちの寄進で経済的には豊かだった。その環境の中で出家者たちは学問と瞑想に励んだ。
 各部派はそうした僧伽を配下に置いて、自派の教説の正当性を主張するために、ブッダの生前の教説をまとめたアーガマ(阿含経)の研究に注力した。そうした研究をアビダルマという。アビは研究、ダルマは仏法つまりブッダの教えの意味である。アビダルマによって、断片的だった仏教思想は体系化されその成果はアビダルマ論書として残された。

 部派で勢力が強かったのは上座部系で、なかでも本上座部と説一切有部が有力だった。

【本上座部】
アショーカ王の子マヒンダによってスリランカで定着し、その後東南アジアへ伝わって今日の南方仏教となる。初期仏教の教えと戒律を忠実に伝える。
【説一切有部】
カシミールを中心に部派最大の勢力となる。厖大なアビダルマ論書を残し仏教教学の基礎を作る。一方で特異な存在論は大乗仏教から攻撃の的とされる。

 上座部系部派仏教は、その後に興る大乗仏教からは小乗仏教とさげすまれるが、インドにおいては一貫して大乗仏教を凌ぐ勢力を維持し続けたのである。

(仏教学習ノート⑬)

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