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エッセイ・コラム

もうひとつのニッポン

内田 満夫

 広島、長崎への原爆投下日に引きつづき、終戦の日がまためぐってきた。この時期に私がカラオケで歌うのは、「長崎の鐘」から始まって、戦前・戦中の流行歌や軍歌である。毎年ノー天気にカラオケに興じていた私も、昨年くらいからは気分が少し違うのだ。日本の「平和ブランド」を毀損しかねない最近の政治の動きに、いつになく不安を感じているからである。
 昭和18年生まれだから戦争の記憶はもちろんない。しかし今にして思うと、終戦はそれまでの日本をリセットする、わが国の歴史上きわめて希な機会だったのだ。台湾や南樺太その他の統治権を失い、憲法も生まれ変わった。立憲君主制のかたちで「天皇制」は残ったが、終戦時にはその存続自体が危機にさらされていた。逆の見方をするとそれは、わが国が「共和制」に移行する絶好のチャンスだったともいえる。歴史に「もしも」はないが、可能性のあったもうひとつの道を見てみたい気がするのだ。
 この国の有史以来はじめて、天皇を君主と仰がない共和制日本の戦後の歩みはどうなっていただろう。その場合にも、共和国憲法が掲げていたに違いない平和条項のもとで、わが国が国際社会の中で平和ブランドの確立に向かっていたことを信じたい。驚異的な戦後からの復興と経済的な繁栄も、間違いなく達成していたことだろう。近隣諸国との関係については、もう少しすっきりしていたのではないかとの期待もある。共和制日本のなかで天皇の扱いはどうなっていたか。連綿と続く皇統の系譜が世界に類例をみない歴史遺産であることは確かだから、それにふさわしい扱いをされてもよいだろう。
 共和制に移行した場合の国名だが、平和精神を具現する「日本平和共和国」なんて如何だろうか。国名に「平和」を冠する国は、今のところない。その場合にも、「○○民主主義××国」のように名前負けをしてはいけない。平和を掲げて武力行使に走ることだけは、くれぐれもないように願いたいところである。

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