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エッセイ・コラム

説一切有部のアビダルマ 1.倶舎論

斉藤 征雄

 説一切有部(せついっさいうぶ 略して有部)のアビダルマ論書は、有部が部派として成立して以来300年以上にわたって徐々に作られたが、集大成されたのはクシャーナ王朝のカニシカ王の時である。
 仏教を信奉し有部を保護した王は、500人の僧を集めて有部の教理の研究にあたらせたと伝えられる。紀元2世紀のことである。その結果編集されたのが「マハーヴィバーシャー(玄奘訳 阿毘達磨大毘婆沙論)」という論書である。200巻にもわたるこの膨大な論書は部派仏教のあらゆる問題を網羅的にとりあげて解説しているといわれ、有部アビダルマ教説の正統とされる。
 そしてこの「毘婆沙論」を、有部の教理に一部批判をまじえて解説し、その上に立って仏教思想全般を論述したのがヴァスバンドウ(世親400~480頃)の「アビダルマ・コーシャ(玄奘訳 阿毘達磨倶舎論、単に倶舎論ともいう)」である。
 したがって倶舎論は、有部の正統教義を解説する書としてだけでなく仏教教義全般の基礎学として位置づけられ、インドだけでなく玄奘が訳したものは中国でも広く読まれた。それが日本に伝わったのは奈良時代で、南都六宗の一つである倶舎宗は倶舎論を研究する学派だったのである。そして奈良時代以降も、倶舎論は仏教を学ぶ学徒の必修の学問となって今日に至っている。 
 さてそのような倶舎論であるが、その内容は非常に複雑で難解だという定評がある。煩瑣哲学ともいわれるほどである。「桃栗3年、柿8年」をもじって「倶舎8年」という言葉があるらしいが、倶舎論を理解することがハンパな努力ではできないことを言っている。正直に言えば私は倶舎論そのものを勉強したのではなく、解説書を二~三冊読んだだけであるがその難解さは十分すぎるほど知らされた。
 したがってこの項の表題を「説一切有部のアビダルマ」としたが、表題にふさわしい内容をここに述べるのは、私には到底無理である。
 無理を承知で敢えてこの表題にしたのは、これから学習しようとする大乗仏教と有部の教義は切っても切り離せないと感じているからである。
 特に人間や世界を構成する要素は実在として「ある」とする有部の存在論は、「すべてが空である」という大乗仏教を理解する前提として避けて通ることができないと思うのである。そんな思いから、私の理解する範囲で説一切有部の存在論について若干述べることとしたい。

(仏教学習ノート⑭)

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