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エッセイ・コラム

自費出版に託す思い

池田 隆

 三冊目の自費出版書が手元に届いた。書籍が溢れる時世に、何故また素人が出すのかと他人様は思うだろう。
 一冊目は二十年ほど前に出版した。旧長崎街道の全行程を歩いた際の紀行文である。初めての一般書の執筆で、漱石の『草枕』を手本にして随想を挿し入れた。
 技術者にも広い見識や教養が必要との持論を示す狙いだったが、効果は思わぬ面に現れる。長崎街道筋の市町村共同の地域おこしに用いられ、地元の方など大勢が街道歩きを始めたとのこと。私自身もこの本が縁となり、徒歩巡礼の功徳を説く松尾心空老師の知己を得て、札所巡りを始めた。
 二冊目は六年前にピースボートの船で世界各地を巡り、被爆証言活動を行ったときの航海記である。本文では航海中の自然風土観察、寄港地での見聞、船内生活、証言活動を記したが、主眼は原発の危険性を警告する巻末の「おわりに」に置いた。
 当時は原発容認が世論の大勢であったが、被爆と原発設計の両者を経験した者として、その危険性を世に知らせる責任感を覚えたのである。しかし出版の翌々年に3・11の事故が起り、その思いは空しくなった。
 今回の三冊目は、この四年間に企業OBペンクラブで発表してきた百編ほどのエッセイの作品集である。出版の意図は自分自身のサバイバルにある。
 人間は心というソフトと身体とよぶハードより成る。心は両親、家族、友人や社会から受け継いだ資質と知識に、己の意思、思考、経験を加えた情報であり、アイデンティティの本質である。身体が日々に部分代謝し、やがて全てが一気に消滅するのに対し、心のソフト情報は様々に細分されて子孫や他人様に伝わり、生き続けることができる。
 断片的だが、このエッセイ集には私の心の多くを書き留めた。タンポポの綿毛の種子を吹き飛ばす風のように、処々で私をサバイバルさせる媒体となるだろう。
 子や孫には頼みたい、位牌は要らぬから本棚の隅にこの三冊を置いて欲しいと。私はそこに生きている。

参考
一 「旧長崎街道紀行」(近代文芸社 一九九六)
二 「地球一周の航海記」(ブイツーソリューション 二〇〇九)
三 「イースター島の黙示録」(ブイツーソリューション 二〇一五)

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