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エッセイ・コラム

卒サラ川柳小話「宮仕え勤め上げれば妻が主」(酔雅)

西川 武彦

 高度成長を走り抜けた後期高齢者群は、サラリーマン時代、24時間勤務の風情がありました。満員電車に揺られて出社、勤務は規定時間内には終わらず残業、放課後は取引先・お客様の接待、上司・部下との飲み会等々で夜のお付き合いがあります。土日を含めてほぼ365日出勤ですから、子育ては勿論、資産管理まで、家のことは連れ合いに任せきりです。で、目出度く勤め上げると何が待っているか?
 今年喜寿を迎えた一郎の場合もその典型でした。63歳で子会社から退くと、今度は家庭という名の新しい「職場」で24時間勤務。三人の子供たちは、それを潮時とばかり、夫々の理由で家から独立しましたから、古びたマイホームに残るは老夫婦のみ。家のことはなにも知らない、なにも出来ない一郎は、新しい上司に頭が上がりません。老妻が管理する年金からいくばくかの小遣いを貰い、なにかと愚痴られ、いびられます。
 三食を家で食べることが多くなりましたが、会話はスムースに運びません。おしゃべりな老妻はこちらの反応にお構いなく一方的に喋りまくる。対して、一郎は黙々と箸を運ぶだけ。
 矩形のテーブルの狭い一角の一同を眺めるような席が家長の定位置、子供三人は左右に一対二と別れて腰掛け、老妻はキチンに近いので便利な左奥が定席でした。子供たちがいなくなったから対面に座ってもよいのですが、一郎の定席は変わりません。おしゃべりは女の鼻歌といいますが、鼻に着くのです。
 先日、耳鳴りがして左耳が聞こえなくなったので、町医者に診てもらったら、なぜか耳垢が厚く鼓膜にこびりついていたのが判明、それを取り除くと正常に戻りました。お医者さん曰く、「右耳は何ともないのにどうしたのでしょうね。まずはお掃除を欠かさないようにしてください。大きな音などを拒否して、音に近い方の耳が変調をきたすなんてこともありますよ」。
 食事のときは、左耳には耳栓でもして鼻歌から守るか……、とご隠居は悲しく呟いています。

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