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エッセイ・コラム

仏教の新たな流れ 2.仏伝文学と法師(バーナカ)

斉藤 征雄

 仏教信者にとってブッダは偉大な存在である。そのブッダが、どのような修行をして悟りに達したかは重大な関心事であり、関心はブッダの前世にまで及んだ。現世において悟りを開けたのは過去世において善行を積んだ結果であると考えられたのである。
 それをインド社会に伝わる寓話を題材にして物語にしたのが本生譚(ジャータカ。本生はブッダの前生を意味する)である。ここに語られる数々の善行による功徳は、ブッダの慈悲の精神の象徴とされる。
 ブッダへの尊崇の気持ちは、ブッダに対する讃嘆の文学へも発展した。これを讃仏乗=仏伝文学という。仏伝文学の中では、ブッダがどのような前世を送って現世に現れたかが創作され、次のように物語られる。
 はるか過去世にスメーダという青年がいて、自己の解脱のために修行していた。そこへある仏がやってきた。青年はその仏を敬い、ぬかるみに自分の頭髪を敷いて仏が渡るのを助けた。そしてその時、青年は他者の救済ということに目覚めるのである。これを見た仏はこの青年が将来ブッダという覚者になることを予言するのである(これを授記という)。
 仏伝文学では修行中のブッダを菩薩という。そして菩薩の修行は、布施、持戒、忍辱、精進、禅定、智慧の六波羅蜜をいう。そして修行の段階に十地の階位があることが語られる。そしてブッダは前世において必要な修行を完成し、次に生まれ変われば仏になりうる位(一生補処)を得た後、この世に降りてマーヤー夫人の母胎に入ったとされるのである。
 以上のようなジャータカの物語や仏伝文学で語られていることは、いずれも後の大乗仏教に中核思想として引き継がれているものである。そうしたことから特に仏伝文学を大乗仏教の先駆思想と考える専門家も多い。
 ただ菩薩については、ブッダの修行時代を指す菩薩は仏になることが保証されているのに対して、大乗仏教では悟りを求めただけで菩薩とよばれる「凡夫の菩薩」という概念が入って来るので基本的に性格が変化していることに注意する必要がある。

 一方、こうしたジャータカや仏伝文学を人びとに説いて聞かせた者がいた。法師(バーナカ)と呼ばれる説教師である。説教師といっても正規の出家者ではない。何らかの理由で部派の僧院を離脱した者や仏塔の管理者から成りあがった者たちといわれる。そして仏塔の周囲には仏伝文学の中で語られる物語の彫刻が多く見られることから、法師が仏塔に参拝する信者に対して熱心に仏伝の物語を語る姿が想像されるのである。

(仏教学習ノート⑱)

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