弁当箱は見ていた
お弁当を作る必要がなくなって早や15年。それまでの暮らしぶりも忘却の彼方へと飛び去った。それが、『めぐり逢わせのお弁当』という、インドにしては珍しくしっとりした映画を観て、食器戸棚の奥で欠伸している弁当箱の存在を思い出した。
その昔私は、息子たちをそれぞれ1歳と4歳から保育園に預けて、小さな翻訳会社で働きだした。保育園は給食制だが、それでもたまの遠足にはお弁当を持たせなければならない。当時は夫がサウジアラビアに赴任中で、私のほうは時に徹夜勤務も。ロシアへのプラント輸出が盛んな時代で、ひとたび契約が決まればそれに伴う翻訳が大量発注されたからだ。あるとき、お迎えと夜の世話をベビーシッターに任せて徹夜で作業し、翌朝一旦帰宅した。朝食をとらせて園に送り届けたらまた職場に戻らねばならない。園に向かうその出しな、遠足当日であることに気付く。慌ててコンビニ弁当を買い、自宅の弁当箱に詰めかえて誤魔化した。数々の後ろめたい想い出のひとつだ。
帰国した夫が、離職したことを機に主夫を買ってでてくれたものの、仕事漬けの妻を見限ったか、数年後には家を出てしまった。和気あいあいと信じていたのはとんだ勘違いだったらしい。子供たちに与える衝撃を思うと気が滅入ったが、と同時に微かな解放感を覚えたことも事実である。こうして大車輪の生活が始まった。
食さえ手作りならば子供への想いは伝わる、という誰かの言葉が頼みの綱だ。これを柱に幾つかの方針——子供の前で父親を悪く言わない;実家に寄りかからない;独楽ネズミを見習う;生活費のためには憂き目にも耐える;日頃ケチでも遊びはゴージャス——を決めた。
まもなく子供たちが私立中学に進み、毎日のお弁当作りも加わった。時間と心のゆとりがなければ彩りにも気配りできない。似たような繰返しが多くなる。大昔の母のお弁当にそっくりだ。学生時代の不平不満を今更のように詫びて、母に失笑された。
今はスーパーも深夜まで営業しているし、冷凍食品も飛躍的に進歩した。家庭的な味付けの惣菜店も多い。あの頃こんなサービスが身近にあればもっとうまくこなせた……、いや誤魔化せたかしら。