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エッセイ・コラム

大乗仏教起源論

斉藤 征雄

 紀元前後頃起こった大乗仏教は、部派仏教に対抗する仏教内部の新興宗教運動であった。しかしその運動が、どこから起こりその担い手が誰であったかについては確かなことはわかっていない。専門家のあいだでも、明治以来大乗仏教起源論が議論されてきたが、未だに定説が固まっていない状況にある。

 古くは教理内容に共通点があることから、部派仏教の大衆部から発生したとする説があった。しかしその後在家・仏塔起源説が提唱されて大衆部起源説は否定された。
 在家・仏塔起源説は、部派仏教とは関係のない仏塔を拠点とする在家信者グループが教団を組織して発生したとするものである。この説の背景には、仏塔信仰や仏伝文学が初期の大乗仏教に強く影響していることや、部派仏教の僧院の中では一つの律の下で異なる教義を主張する者が共存することはできないから部派の中から発生したとするのには無理があるという考えがあったと思われる。
 この在家・仏塔起源説は今日まで大きな影響力を持ってきた。しかし近年、大乗仏教起源論に新たな動きが出て来たといわれる。つまり大乗仏教の起源を、再び部派仏教の内部に求める論調が強くなったのである。
 その論調の基礎となるのは、インドにおける大乗仏教は紀元前後から経典が作られたのは事実だが、4世紀頃までは独立した教団としての実体がなかったとの研究が報告されたことである。この認識に立てば、その間の大乗仏教の存在の場は、部派教団の中以外には考えられなくなる。そしてその際問題となる教理が異なる二つのグループが一つの部派僧院の中で共存できるかということについて、教理が異なっても僧院の行事さえ一諸に行っていれば律を破ったことにはならないという慣行が当時あったことが発見されたのである。
 こうしたことから、従来の在家・仏塔起源説については否定的な論調が多く見られるようになり、大乗仏教の起源を部派仏教の内部に求める動きとなっているのである。

 起源をどこに求めるかは、専門家の研究と議論を待つしかないが、忘れてならないのは在家信者大衆の役割であろう。
 大乗仏教は在家信者を重視するのを大きな特徴とする。だから大乗仏教運動全体の中では必ず在家信者大衆が何らかの積極的な役割を担ったと考えるのが自然である。したがって、その起源を部派仏教の中に求めるとしても、在家信者との関わりをどう考えるかの視点が依然として重要である、と私は思う。

(仏教学習ノート⑲)

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