プラー・ソム ータイの発酵食品ー
今朝の食卓に、ヌットさんはかるく炙ったプラー・ソムを出してくれた。わたしの好きなタイの食材の一つである。
プラー・ソムは、イサーンと呼ばれるタイ東北地方からラオス、雲南にかけての人々が魚を発酵させて作る伝統的な保存食品の一つである。炊いた米と一緒に漬け込み発酵させてつくるのだから、近江の鮒鮨や紀州のサンマ鮨と同じく“なれ鮨”のひとつといっていいだろう。
使う魚はいろいろあるが、ほとんどは鮒か鯉に近い淡水魚である。イサーンもラオス、雲南も内陸の地だから当然ではあるが。
魚は内臓を抜き、よく水洗いして水気を取ったあと、切り身にして塩をまぶして一晩寝かせる。その後、炊いた米飯に塩とニンニクなどの香辛料を合わせてかるく練ったものを魚に塗りつけて、ツボなどに並べて入れ、密封して数日漬け込めばできあがりである。タイのような暑い熱帯地域でも、数週間は保つという。
プラー・ソムには近江の鮒鮨のような強烈な匂いはない。鮒鮨が一年近く寝かせるのに比べて、寝かせる期間が短いから、発酵がそれほど進むところまでいかないからだろう。また、酸味もそれほど強くない。匂いも酸味も、食欲をほどよく刺激してくれる程度である。だから、鮒鮨が苦手だという人でも、プラー・ソムなら食べられるのではなかろうか。
一番ポピュラーな食べ方は、今朝の食卓に出たように、かるく炙って食べるのだが、これにはホムデンというエシャロットとネギの合いの子のような赤いネギと唐辛子を細かく刻んだものを薬味として添えるといい。焼いたプラー・ソムにこの薬味を載せて、その上からスライスしたマナオ(スダチの仲間)を絞ってかけ、食べるのだ。
暖かい飯に載せてもいいが、わたしは酒の肴として味わう方をお勧めする。ウィスキーでも日本酒でもいい。あり合わせの酒を一口含み、プラー・ソムの一片を薬味とともに口に放り込む。
すぐに、発酵した魚の旨味を含んだ匂いが鼻を駆け抜け、ほのかな酸味と塩気が舌を走り、唐辛子のピリリとした痛いような辛さとホムデンの刺激がマナオの香りと混じりあって、口のなかを満たす。酒の味が一層華やかになり、身体いっぱいに広がる。わたしがプラー・ソム礼賛を叫ぶ一瞬である。
近代化が進むバンコクでは、こうした伝統食品を好む人が少なくなったからだろうか、それとも洋化したバンコッキアンは発酵食品の匂いを嫌うようになったのだろうか、プラー・ソムを手に入れることがだんだん難しくなってきている。今朝のように、ヌットさんがプラー・ソムを食卓に載せてわたしを喜ばせてくれるのは、大抵彼女が故郷であるイサーンに帰省して手に入れてきてくれた翌日なのだ。寂しいことである。
タイには、伝統的な魚の発酵食品にもうひとつプラー・ラーというのがある。イサーン料理には欠かせない材料だから、これは今日でもバンコクでわりと手軽に手に入る。
作り方はプラー・ソムとほとんど同じで、炊いた米と塩と一緒に漬け込むのだが、寝かせる期間は半年から一年とずっと長い。なかには数年も漬け込んで置くものもある。こんなに長く置くと、魚はドロドロに溶けて濃い液状になり、強烈な発酵臭をもつようになる。だから、イサーンの人々はこれを食材として食べるのではなく、調味料として炒め物やサラダの味付けに使う。プラー・ラーはむしろ淡水魚で作った塩辛か醤だといった方がいいだろう。
しばらく前、政府がバンコク港近くの無許可マーケットを強制撤去しようとして、警官隊を導入したことがあった。そのとき、マーケットの商人は売っていたプラー・ラーをビニール袋に詰めて、警官隊に投げつけて、抵抗した。警官たちは強烈に臭うプラー・ラーを全身に浴びて逃げ惑い、とうとう退散してしまったという。この話を聞いて、わたしはプラー・ラーまみれの警官たちの姿を思い浮かべて、大笑いしたものだった。
以来プラー・ラー入りの袋は“悪臭爆弾”と呼ばれるようになった。強権に抵抗する庶民の武器としては手軽で、相手の戦意を喪失させる効果は抜群であり、しかも相手を傷つけることもない。火炎瓶なんかよりもよほど平和的で、ユーモアもあり、人道的な(?)抵抗手段なのだ。
(2015.10.05 バンコクにて)