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エッセイ・コラム

大乗仏教における菩薩の概念

斉藤 征雄

 ブッダといえば歴史上実在の人物で、悟りを開いて仏教を創始したゴータマ・ブッダのことをいうが、ブッダの死後その姿は次第に超人化され神話的存在へと崇められていく。そうした中で、本生(前世)物語(ジャータカ)や多くの仏伝文学で語られるブッダの過去世の姿が大乗仏教へ取り込まれていった。
 仏伝文学では、ブッダははるか過去世にスメーダといわれた青年の頃、将来悟りを開くことを予言された(授記)。それ以降、無限とも言うべき長い期間にわたって人や動物に生まれ変わりながら修行を重ね、遂にこの世に降りて悟りを開いてブッダになったとされる。この修行中のブッダのことを菩薩(悟りを求める人の意味)という。
 大乗仏教は、この菩薩という概念を取り入れた。しかもブッダの前世のように、将来悟ることが約束された菩薩という意味ではなく、成仏することを願い悟りを求める者は誰でも菩薩になり得る「凡夫の菩薩」という概念にまでその意味を広げたのである。
 したがって菩薩は無数に存在する。そしてそれは出家者に限らない。社会のすべての人びとが誰でも菩薩になる可能性を持つことになる。

 菩薩の修行は、布施(困っている人や修行する人に施与すること、慈善)、持戒(戒律を守り節度ある生活をすること)、忍辱(困難を耐え忍ぶこと、忍耐)、精進(修行や人びとの幸福のために努力すること)、禅定(精神を集中すること、瞑想)、智慧(究極の智慧を体得すること)の六つの徳目を実践することである。これらの徳目はすべて菩薩の慈悲の心から発した利他の行為つまり衆生救済に他ならない。 菩薩はこの衆生を救済することを本願(誓願)として仏道の修行に勤めるのである。
 これらの六つの徳目を漢訳では六波羅蜜という。波羅蜜はサンスクリットのパーラミターを音写したもので、完成するという意味といわれる。六波羅蜜の中で最も重要な項目は六番目の智慧である。智慧の完成によって六波羅蜜のすべてが完成するのである。智慧はサンスクリットではプラジュニャー(パーリ語ではパンニャー)というらしいが、それを音写した語が般若であることから智慧の完成を、般若波羅蜜(多)という。

 智慧の完成とは何か。一般には正しい真理を理解するというような意味であるが、端的にいうならば、すべてのものは「空」である、ということを観じ体得する智慧である。この空の思想こそが大乗仏教の思想的な核心といって間違いない。

(仏教学習ノート21)

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