諸仏、諸菩薩の信仰
仏教の初期の段階では、われわれの住む娑婆世界には一人のブッダつまりゴータマ・ブッダ(釈尊)しかいなかったが、次第に多仏の観念が形成されていった。
まず、釈尊以前にも六人のブッダがいたとする過去七仏の伝説が生まれた。そして次に未来のブッダが創られた。すなわち釈尊滅後56億7千万年後に、この世には次のブッダである弥勒仏が現れるというものである。 こうした流れの中で大乗仏教においては、過去、現在、未来の三世にわたってブッダが存在し、かつ三千大千世界のあらゆる仏国土に無数のブッダがいるという考え方に発展した(三世十方の諸仏)。
そして仏教開祖のブッダは理想化され遂には、この世に生れて悟りを開いたというのは仮の姿で(方便)、実は無限の過去に悟りを開いて、無限の期間にわたって人びとに教えを説き続けてきたのが真の姿という久遠の本仏思想が創られた。さらに、東方妙喜国にいる阿閦仏、西方はるかかなたの極楽浄土にいる阿弥陀仏、東方浄瑠璃世界にいて衆生の病苦を救う薬師如来、万物を光明で照らす廬舎那仏などが新たなブッダとして登場した。
菩薩も無数に存在する。そしてその中から、すでに悟りの段階にありながら自分だけが成仏することをよしとせず、この世のすべての人びとを救い終わるまで菩薩のままでいることを決意した菩薩が現れる。これらの菩薩は特別に大菩薩と呼ばれる。
大慈大悲で衆生を救済するのを本願とする観世音菩薩。この菩薩は救いを求める衆生の声をもれなく聞き、千手観音、十一面観音、如意輪観音、馬頭観音など多くの姿に変身して力を発揮するとされる。その他、ブッダに脇持して智を司る文殊菩薩、同じく脇持して理、定、行を司る普賢菩薩、さらには弥勒仏が現れるまでの無仏の間、ブッダの付託を受けて衆生を導く地蔵菩薩などがいる。また、次のブッダに予定されている弥勒も今は菩薩として兜卒天に住んで待機している。
人びとにとって、菩薩の修行は誰にでもできるものではない。そこで、上に挙げた諸仏、諸菩薩に帰依して救われるという諸仏、諸菩薩崇拝の信仰が生まれた。
そして諸仏、諸菩薩信仰は、観仏、観菩薩の具体的な対象を持つ必要から仏像、菩薩像の制作につながっていくのである(紀元1世紀頃から)。ギリシャ文化の影響を受けたガンダーラ、インド国粋美術のマツラーが二大中心地として知られている。
大乗仏教は、空の思想を中核とする深遠な教理を展開する一方で、大衆の諸仏、諸菩薩信仰を許容する幅広さと骨太さを持つことが大きな特徴である。
(仏教学習ノート22)