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エッセイ・コラム

喜寿の引越し 捨てるのはたいへんだ

大平 忠

 今回の引越しは、昨年の7月から準備をした。6月に住んでいるマンションの売却と新しく住むマンションの購入手続きが終わり、充分過ぎる時間があった筈である。ところが間際の3日前になっても捨てるものが山のごとく出た。荷物送り出しの日には、マンションのゴミ収納場所まで10数回往復して疲労困憊した。なにしろ今度行くマンションは今に比べて収納容積が少ないのだ。
 ともかく一定の容量は減らさなければならない。子どもたち3人にどんどん持って行けと言ったが、要らないわと冷たい。
 振り返って見ると、引越しとは「捨てることなり」であることが骨身に沁みた。以前、本を捨てることがいかに難しいものかを書いたことがあったが、数年前に4、5百冊、今回も同じくらいブックオフへ持って行った。幸い時間があったので少しずつ持って行った。段ボールに詰め込むのもギックリ腰にならないようゆっくり作業した。
 アルバムも10年前に家内と二人で1月かけて整理してあった筈なのに再度の整理でもたくさん出た。一番困ったのは3人の子どもたちの残した幼児のときからの作品や貰った手紙類である。これらはほとんど持って行くことにした。
 家内は、片付けの仕方とか物の捨て方などの本を読んでその心得などを私にコーチした。衣類などはぱっと見て直感で決め後から決断を変えないことだという。
 なるほど衣類は簡単である。女性は知らないが男はあっというまに振り分けができる。困ったのは他人からの頂き物である。これも家内によれば、どうも有難うございましたと言って捨てるしかないと言う。そう本に書いてあったとか。しかし、たいへん困った。昔を思い出して感慨にふけっていると、時間がいくらあっても足りない。
 8ヶ月という時間があっても、毎日生活をしているわけだから、間際にならないと捨てられない物もある。たとえば冷蔵庫の中身を家内は忘れていた。これらが予想外に多く最終日にしわ寄せが来たのだ。結局試験の一夜漬けと同じである。
 荷物を全部送り出し、不動産屋に家の鍵を引き渡したときはほっとした。その日の夜は、羽田のホテルに泊まり、家内と二人それこそバタンと倒れ朝まで目が覚めなかった。

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