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エッセイ・コラム

ホームシェアという生き方

西川 武彦

 明治時代の女性実業家・広岡あさの生涯を描いた朝ドラが終わった。近代日本開明の頃、次から次に新しい事業に挑戦し、日本初の女子大を創設に導いた女傑の物語だ。
 あさ様には到底かなわないが、筆者も、新しいことに挑戦して突っ走ってきた。創立三年目の中高を選び、同四年目の大学を選択、ジェット機が国際線に導入される年に、世界での活躍を夢見て航空会社に…。いずれも筆者が入って一人前に育った気分がしないでもない。
 25年前には、日本では珍しかった都会と高原の棲み分けを始めた。独創に富むとはいえ、サラリーマンとしては使いにくかっただろうと、今では思っている。閑話休題。

 今取り組んで走っているのは、ホームシェアという生き方である。
 子供たちが巣立った築45年の二階建て古民家は、高齢者夫妻には広すぎる。親の介護代捻出で、一階は15年余り賃貸していた。戦火を逃れた下北沢の閑静な住宅街にあるが、古すぎると日本人は借りてくれないようだ。で、外国人に貸していた。フランス人、オランダ人、最後はイギリス人。男女によるシェア、カプル、子連れなど様々だ。程度の差はあれ、触れ合いもあり、外国語が漏れてくるし、子供の泣き声も聞こえた。
 この辺りは、三つの小学校が一つになるほど子供の過疎化が進んでいる。それを嫌ってか、跡取りたちは、別の地に自分の城を構えてしまった。二年前、筆者が喜寿を迎える頃、同年代の友人から、一軒家を処分して、マンションに移ったとの通知が続いた。「右に倣え」という声が脳内を巡る。シモキタから遠くないところに相応の物件がいくつか見つかったが、モデルルームに足を運ぶと、いかにも狭い。妹にも相談する。「お兄さんの齢になって、物を整理・処分して転居するのは絶対無理よ、命を縮めるから止めたら……」と、のたまう。転居してすぐ死ぬのでは情けないではないか。
 そうこうするうちに、連れ合いが腫瘍摘出で入院する、一階のテナントが転出する、というハプニングが続き、すべては振りだしに戻った。

 その頃、ある会合で、「ホームシェア」を推進するNPOを創立した女性起業家Sさんに出会った。高齢化が進み、老人だけの生活が心もとない古民家の住人が、孫のような若者と同居するホームシェアだ。フランスなど欧州ではかなり普及しているという。
 夫々のプライバシーを重んじつつ、一緒に暮らす。炊事・洗濯などは基本的には夫々が自分でやる。老人は、声や音がなく、触れ合いのない寂しさから解放され、なにかのときの助けにもなるという。日常の諸経費に加え、家賃も少し頂く。日本でも近年、マスコミで紹介され始めた。先日は、筆者の歌仲間がテレビで紹介されていた。音大受験生とホームシェアしている。美声のテナーである彼が、青年のピアノ伴奏で心地よさそうに声を張り上げていた。
 退院した連れ合いに相談すると、今回の入院でなにかと心もとなくなったのか、賛同してくれた。新しい試みに心が弾む。365日の紙飛行機、飛び始めたら止まらない。一級建築士であるS女史の監督で、早速一階をリフォーム。連れ合いの意向もあり、まずは界隈の大学の女子学生四人を対象に始めることになった。一筋縄では行かないそうだが、スマホで自分だけの狭い世界に溺れる若者になにがしかの気づきを与え、こちらのボケ防止にもなるかも…。ご隠居の皮算用である。

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