作品の閲覧

エッセイ・コラム

香椎浜に住んで45日

大平 忠

 横浜から福岡・香椎浜に転居して1ヶ月半が経過した。少しずつ生活も落ち着き、周囲を眺めるゆとりも出てきた。
 香椎という地名を知ったのは、松本清張の最初の長編推理小説『点と線』である。昭和32年から33年にかけて書かれている。この中での殺人現場が香椎の海岸、香椎潟であった。潟というからには干潟だったに違いない。その頃は人っ子1人いないさびしい海岸だったから殺人現場に設定されたのであろう。
 今、JR香椎駅は、博多駅から鹿児島本線で4駅目、11分で到着する。私の住む香椎浜は、香椎駅から海辺へ向かって歩いて約20分、博多駅、天神からバスに乗ると都市高速経由でこれまた20分である。いつの頃からか、香椎潟は次第に埋め立てられ潟の名称は消えて浜となってしまったようだ。松本清張の時代からざっと500mは埋め立てられて海辺が北上している。
 私はこの香椎浜の浜まで2分のところのマンションに引越してきた。香椎浜は博多湾の北東部にあたり、一番奥まった一番小さな湾に面している。湾の出口を埋め立ててアイランドシティという人口の島を福岡市は作り、大きな橋を3つ作って岸を結んだ。そのため香椎浜は湾を囲んで周囲3kmを一周できるようになった。一見湖かと見紛う波静かな湾である。潮の満ち干があるから間違いなく海ではある。

 戦後の福岡市の発展を調べると、住宅地は主として西南に伸び、工場、物流拠点が東の海岸線に沿って広がっていったようだ。東へ走る高速道路から見る眺めは壮観である。大きな物流倉庫が海沿いに林立し、埠頭には貨物船、ときには巨大なクルーズ船が停泊している。記録を見ると、福岡市は平成9年頃から、香椎と手前の千早地区そして香椎浜一帯の埋立て地と香椎操車場跡を中心として大規模に土地を確保してきた。これが現在進行中の東部福岡副都心計画の基礎となっているのであろう。物流倉庫群を挟んで東部地区を開発してきたのである。計画の謳い文句の一つに「楽・住・職」というのがある。職住接近、そして住環境がよく老いも若きも楽しく住めるということだそうだ。確かに20分で市の中心へ行けるから働くには便利である。
 散歩をしていて幾つかのことに気がついた。保育園、幼稚園、小学校、中学校の運動場が広い。道幅も広いので自転車が歩行者を気にせず走れて安全である。たいへん公園が多い。ときにはあまりに広くて人影が少なく女性1人では怖くなるような広大な公園まである。これで大陸からPM2.5が飛んで来なければ空気は申し分なくいい。ともかく、土地をのびのびと使っているのに感心した。「楽、住」を意図していると読み取れる。そのせいかどうか小さな子どもを抱いたりベビーカーに乗せた若い母親とよく行き交う。横浜の東戸塚とは道を歩く人の景色が違う。一方では、老人施設が多いのにもびっくりした。看板を見ると、特別養護老人ホーム、サービス付き高齢者住宅、介護付き老人ホームとだけ書いてある高級そうな施設もあり、その種類もいろいろある。これも市が子どもから老人まで年齢に応じた構想を持って街作りをしているからなのだろうか。
 その結果かどうか、最近の福岡市では東区の人口の増加が顕著である。今年の3月の統計を見ると、政令都市の中で人口増加数、人口増加率、若者(15才〜29才)率は、福岡が一番である。
 私はまだ福岡をよく知っている訳ではないが、香椎浜に人口増加の理由の一端を見たような気がした。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧