空の思想 4.龍樹(ナーガールジュナ)(1)空と縁起
龍樹は主著「中論」で、般若経の空の思想を理論的に論証したとされる。その第一は、空と縁起の関係である。
縁起は仏教教理の核心であり、すべてのものが原因と結果の関係性の中で相互にもたれ合いながら(相依性)存在しているという存在の原理をいう。そして、あらゆるものはその存在を決定づける条件が変化すればそのものも変化する運命にある(諸行無常)。
人間の苦も縁起によってもたらされる。したがって苦をもたらす条件を解消すれば苦もまた解消できるのである。ブッダは人間の苦の因を「渇愛」としたが、その後縁起は、より緻密に体系化されて部派仏教・有部の時代には十二支縁起と呼ばれる形が確立していた。
十二支縁起は、苦の根本原因を「無明」とする。そして過去の因が現在の果となり、現在の因が未来の果となる二重の因果関係(三世両重の因果という)の中で、胎生学的に時間を追って生起する十二支の各段階が示されるのである。
もともと有部は、無数のダルマ(世界を構成する究極の要素)が瞬間瞬間に縁起が働いて集合して現象世界が生起するという考え方に立つ。そしてダルマは、不変の実体をもつ実有の存在とする。
このような有部の考えに対する対立軸として生まれた空の思想は、あらゆるものが固定的な実体をもたないとみなす。現象世界ではもろもろの事物が消滅変遷するが、実体を持たないからそれは仮の姿であり、本質的にはものが生ずるということがない。生じないから滅もない(不生不滅)。
こうしたことを前提に龍樹は、縁起に生起するという意味をもたせず、ものとものとが相互に依存しながら関係して存在することを縁起という、つまり相依性のみの意味で縁起をとらえた。
「中論」の序(帰敬偈)において、縁起に「不生、不滅、不常、不断、不一、不異、不来、不去」の八つの否定命題(八不)をつけているのは、縁起に生起の意味を含めないことを意味している。そしてそのことによって「中論」は、ブッダの悟りの核心である縁起を中心に据えていること、そこでいう縁起は空と同義であることを示しているのである。
(仏教学習ノート26)