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エッセイ・コラム

空の思想 5.龍樹(ナーガールジュナ)(2)空は、非有非無の中道

斉藤 征雄

 仏教は、中道が正しい道だと説く。ブッダの示した八正道は、禁欲主義(苦行)と快楽主義(易行)の両極端を離れ、中道をもって実践修行の原理とするものであった。理論面でも、事物が恒常的に生き続けると主張する見解(有)と、事物は断滅して滅びると主張する虚無的な見解(無)の間にあって有、無それぞれに否定的だったといわれる。もっともブッダはこうした哲学的な命題については、敢えて答えなかった(無記)といわれるので、答えなかった態度そのものに中道の姿勢を示しているともいえる。

 龍樹は「中論」の中で「縁起をわれわれは空と説く。空は仮の名付けであり、それはすなわち中道である」と述べている。
 最初の部分は、縁起と空が同義であることをいっている。
 次の、空は仮の名付けであるというのは、まさに空のもつ性格をいっている。つまり、空は恒常不変の固定的な実体をもたないという意味だから、空という本体があると考えるのは誤りであることをいう。
 最後に、そのような空はすなわち中道である、という。これは次のように解説される。空は実体をもたないから、本質的な意味で生ずるということがない(不生)。生じないということは有であることができない。また、生じないということは無くなるということもないから無ということもできない。すなわち空は、有でもなく無でもない非有非無の中道なのである。
 中道は中間を意味するのではない、とも解説される。空は、有からも離れ無からも離れたありよう、換言すれば、有無の対立を超越したところに位置するといわれる。そのことは、空があらゆる対立した概念を否定しているともいえるのである。大乗仏教は対立した概念を離れることを不二というが、空=中道は不二と同じ意味と解することもできる。
 縁起を空と同義とすることや空を中道とみる龍樹の思想は、ブッダの説いた原始仏教の思想と共通する。大乗仏教は「ブッダに帰れ」を標榜したが、「中論」が大乗仏教の中心思想といわれるゆえんである。

 ちなみに、空を非有非無の中道と解する考えは、中国に伝わって変化する。中国で生まれた天台宗は、空もまた一つの極端(無に近い)とし、空をさらに空じたところに中道があるとする。非有非無の中道に対して非有非空の中道といわれる。その考えは日本にも伝わり、日本仏教の伝統的考えになっているといわれる。

(仏教学習ノート27)

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