『日本奥地紀行』を読んで
高梨健吉訳のこの本では、イギリス人女性イザベラ・バードが1878年(明治十一年)六月から九月にかけて東京から北海道まで旅をした記録を妹に書き送った手紙という形で書かれている。
まず横浜で、通訳兼召使の伊藤を雇い、そこからこの旅は始まった。
旅の荷物は、柳行李二個、折り畳み式椅子、空気枕、ゴム製の浴槽、敷布、毛布、そして二分で組み立てることが出来る寝台。それらを用意して東京から三台の人力車を雇い、最初の目的地、日光に向かった。
車夫達は時には笠とふんどしだけしか身につけていなかったが、お互い同士も、バードに対しても親切で礼儀正しいことが、彼女を喜ばせた。
東北では緑豊かな森に感激するもその道程はきびしく、降り続く雨の中も馬を走らせる。山崩れで寸断された道も、雨で水かさが増えた川も果敢に渡る。
宿屋に泊まると部屋は障子で仕切られていて、どの宿屋でも、そこに無数の穴が開きいくつもの目が覗いている。畳の部屋では蚤と虱に悩まされる。
人々は風呂に入らず、衣類を洗濯せず、子供たちは裸で皮膚病が蔓延している。そんな旅なのに、彼女はしばしば日本人の礼儀正しさを褒める。世界中で一番子供たちの躾が良いという。家族の団欒や、親が子に向ける愛情、子供が我儘でないことが、他国に例を見ないと書かれている。
彼女は薬の知識を持ち、眼病や皮膚病を治したりして土地の人々とじかに触れあっている。本には、結婚式やお祭りなどの行事、日常の暮らしぶりから、平均的体重・身長、風景、気候、旅の道程が正確に書かれていて貴重な資料なのだが、妹に伝える体験談として書かれているので身近に感じられた。
日本人が外国人を珍しがり、覗いたり付いて歩いたりする好奇心にも彼女は好意を持ったに違いない。
北海道は、彼女がこの旅行で一番行きたかった所だった。函館に着き霧が晴れると緑に包まれた山々ではなく、裸の峰や火山が現れ、最近噴火したばかりの赤い灰が燃えていた。未開の地に足を踏み入れたと同時に、火山の若々しい躍動、自然の美しさ険しさに、胸をときめかせる様子が伝わる。彼女は未開の場所や原住民にとても興味を持っている。函館から噴火湾を回り込むように海沿いの道を行く。北海道では何ヶ所かのアイヌの部落に滞在し、外見や特性を書いている。アイヌ人は穏やかで寡黙、争いを好まない、柔和な茶色の目の優しいまなざしをした彼らは、日本人に比べるとずっとヨーロッパ的で私の心を魅了すると書いている。だが著者の感想は日々変わる。そのどれもに正確に伝えたい思いが伝わって来る。彼等は宗教を持たない。文字も歴史書も持たず伝統に値するものはなく先祖は犬だったと公言する。彼等は誠実で他人をもてなす心はあるが好奇心を持たない。そして最後には、進歩も天性もなく文明化も矯正も不可能な未開人で滅びゆく民族だろうと結論付けた。
「完訳日本奥地紀行」の解説によると、イザベラ・バードは病弱だったので、医者に強く勧められて二十二歳から旅行をするようになり、旅行記は科学雑誌『ネイチャー』を始め各分野から絶賛された。彼女は小柄な女性で身長は150センチにも満たなかった。四十六歳、神経痛や間歇熱、脊椎の痛みが再発し気持ちも落ち込んでいた時、医師に勧められ日本への旅に出た。一度旅に出ると過酷な行程をものともせず旅をしたが、脊椎の痛みをはじめ終生病とは無縁ではなかった、とあった。そして彼女の旅は七十歳を前に1900年から1901年のモロッコへの旅まで半世紀近くに亘った。
『日本奥地紀行』を読み、イザベラ・バードの豊かな知性、感性、好奇心、行動力は、私の心を魅了した。