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エッセイ・コラム

博多祇園山笠

大平 忠

 今年初めて「博多祇園山笠」を見物した。この祭りに対する博多の人々、さらには福岡の人々の思い入れは尋常ではない。書き出してみる。

  1. 7月1日から15日にわたるロングランの祭りである。この祭りをやるには、大勢の人が仕事を暫く休ないと到底できない。かかり切りの人も相当数いるに違いない。
  2. 福岡市の全所帯に、「山笠」の案内の小冊子が配られてきた。それも16頁にわたる立派なものである。
  3. 15日の最終日、早暁4時59分に始まる「追い山」のために全市のバス、電車が午前3時頃から臨時ダイヤを組む。損得抜きとしか思えない。
  4. 最終日の「追い山」は、7基の「山笠」をそれぞれ約100名の人数が交代しながら担いで(注1)5分毎に順番に走る。そして、櫛田神社の境内を走るタイムと、全コース5kmを走り抜くタイムが発表される。別に順位をつける訳ではない。そこがえも言われぬところである(注2)。競争ではないとはいっても他の山笠の記録が気にならない筈はない。また、昨年までの先輩の記録にも負ける訳にはいかないのだ。意地と面子を張り合うのである。
  5. 30名が死に物狂いで担いで走る姿を目の当たりにすると、大汗をかいた必死の形相に思わずこちらも力が入り掛け声が出る。7つこれを見ると見る方も疲れる。「山笠」は約1トン、その上に人が2人は最低乗る。30名で担ぐとすれば一人当たり重量は30キロ以上になろう。途中でメンバーを交代するときの息を合わせ方は難しそうだ。訓練に時間がかかるであろう。毎年7基の「山笠」毎に100名の人数を揃え訓練をして本番に備えるには膨大なエネルギーが必要だ。この情熱は一体どこから出てくるのか。

 私は、12日目の「追い山ならし」という「追い山」の予行演習と「追い山」の一部を見ただけで興奮した。福岡の人に聞くと、「博多どんたく」は、5月の連休ということもあり、福岡市外、他県の人々が見にくる祭りで、「博多祇園山笠」こそが自分らのためにやる博多の祭りなのだと言う。「博多どんたく」のときも、福岡の人はなんと祭り好きなのかと思ったが、「山笠」にかける情熱は想像を絶している。
 計算をしてみた。博多は現在66町で成り立つ。博多区の人口は約23万人、1つの町の人口は3〜4千人であろう。「山笠」の単位は5つ内外の町であるというから、1万5千〜2万人で1つの「山笠」を作り、担ぎ手を養成し、祭りを運営していくことになる。老いも若きも女性陣も家をあげて参加しなければできるものではない。この「山笠」は775年前にその起源があるとか。担いで走り出したのは江戸時代からだという。それにしても、これを子々孫々受け継いできた博多の人々には驚く。それも775年である。今や国重要民俗文化財という看板が貼られている。しかし、本来博多人は誰しも夏が近づくに従い、自然に熱くなって気分が盛り上がり、そしてこの15日間にエネルギーを打ち込むのだろう。その情熱が人の気持を揺さぶるのだろう。全国の夏祭りに集まる人の数はこの「博多祇園山笠」が日本一とか。300万を超すというからすごい。しかし、博多の人々はそんなことに関係なく、自分たちの祭りを自分たちのためにやっているように見受けられる。これが伝統というものなのか。

 日本の祭りはまだ東北のものは見ていないが、東京の「三社祭」、京都の「祇園祭」、岸和田の「だんじり」といろいろ見物してきたが、その中では博多の「山笠」が断然勇壮で男性的である。いずれも祭りの儀式の段取りを、町の長老が順繰りに後輩に申し伝えていくのであろう。後輩は古式を尊んでそれを身につけまた若者に引き継いでいく。これらの伝統が息づいている限り、この日本はまだまだ嬉しい。「山笠」の打ち上げ「直会(なおらい)」をある山笠チームがやっている横を通りかかった。すると、若い衆が年寄りにビールを注いで楽しそうに何事か話していた。こちらも羨ましくなる光景だった。
 博多は「山笠」が終わって16日に梅雨が明け、いよいよ夏本番がやってきた。行事と自然の暦がぴったり一致していた。8月には早くも来年の準備が始まるそうだ。

(注1)
「担ぐ」を博多では「舁く(かく)」という。駕籠舁きのように古来からの言い方を守っている。
(注2)
「山笠」を出す単位は「流(ながれ)」という太閤町割りの名残りの区域から1基出している。この区域は人口がそれぞれ異なる。さらに「山笠」の重さも同じではない。そこで、事情を分かっている博多の人からは、例えばタイムは他の「山笠」より遅くても「今年の○○流はよう頑張っとるばい」という感想が漏れたりする。

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