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エッセイ・コラム

カフェで朝食を

木村 敏美

 朝食を外で摂る楽しさを知ったのは、40代の頃転勤で海外生活をしてからだ。シンガポールでは、驚く程の安さでホテルの朝食を摂ることができる。メニューは少ないがフルーツドリンクの美味しさとホテルの豪華な雰囲気で、ちょっとリッチな気分になり、家族連れでよく行った。この名残なのか、子供達も巣立ち、義母も他界して定年退職した夫と2人になった頃、時々朝食を外でするようになった。
 低血圧の私は朝に弱い。年中無休の3度の食事作りの中で朝が1番きついのだ。私の気持ちが通じたかのように、6年程前徒歩で10分足らずの所に、朝7時に開店するカフェレストランができ行くようになった。11時からランチメニューとなる。朝のカフェは客もまばらでジャズ系の音楽がながれ、天井には古民家風の黒い梁が見える。店内はかなり広く奥に喫煙室、緑の見える窓際に禁煙室があり、夫々に透明のガラスや摩りガラスで仕切られている。観葉植物や花、アンティックな家具等もおかれ落ち着いた感じだ。ホテルとまではいかなくても、朝の静かな時間ここに座るだけで日常から離れられる。朝食のメニューは和洋いろいろあるが今の私達のメニューは、トースト、サラダ、目玉焼き、ウインナー1個に、有機栽培のコーヒー付で379円という安さだ。又値段は少し高くなるが、コーヒーはキリマンジャロやコロンビア等の種類がそろっていて違いを楽しめる。これだけでも充分満足だったが、思わぬ特典まで付いた。

 早朝の客は少なく、店員さんとすぐ顔馴染みになり、暫く通っているといつの間にかお得意様扱いをしてくれるようになった。中でも初めて店を訪れた時からいる女性店員は、他の店員と違い毎日出勤するので親しさも増した。ここでは店員は料理もするので、客の意見も聞きたかったようだ。ケーキやお菓子の新製品を出す時は試食してくれと持ってきたり、余ったからとフルーツをつけたり、中学生の孫を連れていくと食べ盛りで足りないだろうとパンをサービスしたり、食事の割引券等もくれた。東京で働いている娘が帰って来た時連れて行くと、同世代で話も合ったようだ。ベテランの彼女は、食事のメニューや店のレイアウトを変えることもやっていて、意見を聞かれたこともあり、私達もいつの間にか自分の店のような気になっている。店を出る時は必ず彼女に声をかけるのだが、誰より心のこもった笑顔で見送ってくれるのが嬉しい。
 もう1つの特典は夫がよく話すようになった事だ。現役時代は仕事人間で男は多くを語らずと言っていた夫も、朝食に行くと店を出ない限り向き合って話さざるを得ない。話していると、この歳になってお互いの本音に気づかされたり、思わぬ発見をしたりもする。堅物だった夫が今では芸能ニュースも語るようになり、その変化に1番驚いているのは妻の私だ。

 朝食にくる客は殆ど常連で、ガラス越しに見え隠れするが話したことはない。それで勝手にこちらで似ている人の名前をつける。ある人は某内閣時代の防衛大臣だったり、昔名をはせたフォーク歌手だったり、知り合いの女性だったりするが、今日は来ていないとか最近見かけないとか、その名前で言うのだ。新聞、週刊誌、料理本等もあり情報もこの時ばかりと読んで退屈することはない。
 たかが朝食、されど朝食。価格の安さ、自宅からの距離の近さで週2、3回は行かずにおられない。そして何より彼女の心からの笑顔に元気をもらい、明るく1日をスタートする朝食なのだ。

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