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エッセイ・コラム

ノーベル賞と日本語

森田 晃司

 大村智特別栄誉教授が日本経済新聞社の「私の履歴書」に執筆しておられました。ひたすら微生物の探索・研究に没頭してこられたものと思っていましたが、さにあらず、北里研究所や北里大学の経営再建を行い、埼玉県に北里メディカルセンターを開院し、さらには故郷の韮崎に美術館までオープンされるという、まさに八面六臂の大活躍です。しかも、決してエリートコースを突き進んだわけではなく、夜間学校の教師として平凡な人生を送っても不思議はない境遇から、努力で立ちあがって来られました。世の中には凄い人がいるものだと感心させられます。
 先日、友人からのメールで、その大村教授が日本人にノーベル賞受賞者が多い秘訣を問われて「日本語を使っているからでしょう」と答えられていることを知りました。
 日本語は情感を表すには適しているが、論理的、科学的思考には不向きな言語だというのが一般的な理解ですが、埼玉大学の長谷川三千子名誉教授は「日本語の哲学へ」と云う書物で、日本語は論理的思考に適した底力のある言葉だと詳述しておられます。
 また、先人の努力のお陰で日本語は、漢字とかなを絶妙に取り交ぜて、しかも漢字は訓読みと音読みを組み合わせて、日常と非日常を使い分けています。「10月10日の月曜日は体育の日の祝日です」という短い文章に日の読みが、カ、ビ、ヒ,ジツと四種類でてきますが、日本人は惑うことなくいとも簡単に読み分けます。一方では、セイコー(成功,性向…)、キギョウ(企業、起業…)など発音は同じでも意味の違う同音異義語が無数に存在しています。しかし、日本人は同音異義語を巧まずして使いこなし、聞き手も苦もなく聞き分けています。日本人は日本語を使うことで無意識のうちに頭の訓練をしているのかもしれません。
 歳時記は万葉集以来の文例などを引きつつ四季の事物や年中行事などを紹介し、凡そ五千にも及ぶ俳句の季語を解説してくれています。一つの季語から数々のインスピレーションが一瞬のうちに湧き出てくると同時に、そのインスピレーションを多くの人と共有することができます。日本語の歴史と集積を社会全体で共有していると言えます。
 日本語は類語の見つからない独特の古い言語だそうです。その日本語でものを考えることが豊かな発想を呼び、ノーベル賞につながるのかも知れません。小学校で英語を教えるなどは、こうした観点からも亡国的政策であり、国家的大損失だと言えます。多様な文化の維持発展の重要性に鑑みれば、日本文化の自殺的行為に留まらず、世界的な損失だと言えます。
 この文章を投稿しようと思っていたら、昨夕、また、ビッグニュースが飛び込んできました。大隅良典東京工業大学栄誉教授の医学・生理学分野におけるノーベル賞の受賞が決定しました。おめでとうございます。

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