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エッセイ・コラム

法華経の世界 2.一仏乗の思想(三乗方便・一乗真実)

斉藤 征雄

 ブッダがこの世に現れた目的は唯一つ、衆生に対して「仏の智慧」を開き示して、悟りに入らせる(開示悟入)ことである。これがブッダの偉大な目的であり仕事なのだ。
 そして、あらゆる衆生は等しく平等に仏になれる。しかも、この経の一つの詩偈でも心に留めた者や、仏のために塔を作ったり、さらには子供たちが遊びの際に木片で仏の像を描いただけでも、その者たちはすべて悟りに到達するだろうという。
 このように誰でもしかも徹底した易行で悟ることができるのは、ブッダの大きな慈悲のおかげ以外の何ものでもない。ブッダの慈悲の救いによって、衆生は誰でも成仏できる。 これを一仏乗(乗は乗り物を意味する)の思想という。

 法華経が説かれる前は、仏道の実践方法には、小乗仏教の声聞乗(四諦の教えを実践する道)及び縁覚乗(独り山などにこもって瞑想し、十二縁起の法を実践する道)そして大乗仏教の菩薩乗(六波羅蜜を実践する道)が示された。これらを三乗という。
 しかし法華経では、実践の道は一仏乗だけとする。五濁の悪世においては、衆生にはさまざまなレベルがあるのでそれぞれのレベルに応じて三乗を説いたが、それは巧みな手段つまり方便だったのだ。真実は一仏乗だけなのだ、という。(三乗方便・一乗真実)

 以上の考え方に対して弟子の舎利弗はただちに理解したが、その他の多くの弟子たちはとまどいを見せたので、ブッダはいくつかの譬喩をもって説明し、弟子たちも徐々に理解を深めていった。ここでは、代表的な「三車火宅の譬喩」について述べる。
【三車火宅の譬喩】
「ある裕福な長者の邸宅が火事になった。広大な家には長者の子供たちや大勢の使用人などが住んでいた。門は一つしかなかった。中に居た子供たちは遊びに夢中で、長者が言葉で説得しても外に逃げようとしなかった。そこで長者は子供たちが欲しがっていた羊車、鹿車、牛車があるぞ、と言って子供たちを巧みに導き出した。無事脱出した子供たちが三つの車は?といぶかるのに対して、長者は三つの車よりはるかに立派な大白牛車を与えた。」
 三つの車が三乗を意味し、大白牛車が一仏乗を意味するのは明白である。長者が仏を指し、子供たちは仏の子を象徴する。
 燃えさかる家(火宅)は、三界つまりわれわれの住む娑婆世界である。仏は巧みな方便を使って子供たち(衆生)を燃えさかる火宅から救い出したという譬喩である。

(仏教学習ノート31)

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