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エッセイ・コラム

「土人」発言、人のことを言えるのか

内田 満夫

 沖縄で抗議活動に参加している住民に対して、「土人」との暴言を投げつけた機動隊員がいた。けしからぬ差別発言なのだが、つい20年前まで、日本国全体がこの差別呼称を使っていたことを、どれだけの人が知っているのだろう?
 1899年(明治32年)に制定された「北海道旧土人保護法」。これが1997年(平成9年)、「アイヌ文化の振興並びにアイヌの伝統等に関する知識の普及及び啓発に関する法律」制定に伴い廃止された。アイヌ民族が日本国によって「旧土人」と公称されていたことを、私はそのときに初めて知った。国をあげて、アイヌの人たちを「土人」呼ばわりしていたのだ。
 事件についての新聞記事、識者、コメンテイターの発言をみていても、このことにはまったく触れない。しかし彼らが知らぬはずはない。「土人」、「シナ人」と言い放った隊員たちは20歳代だというが、差別に覚えのある世代の我々に、この若者たちをとがめだてする資格があるのだろうか?
 軍事・経済面で力のある勢力が力の弱い国や民族を侵略し、支配を確立したあとも虐げ差別してきたのは、あまねく世界史上の事実である。遺憾ながら日本とてその例外ではない。北海道開拓は、先住していたアイヌ民族に対する、和人による収奪と同化の道のりだった。沖縄には400年前の薩摩侵攻から、明治維新直後の琉球処分に至る歴史がある。旧中国や近隣諸国については、かの大戦での慙愧に耐えない所業の記憶に、我々は今も悩まされ続けている。
 問題の「土人」の呼称だが、国家公認の状態から国民全体が明確に差別語と自覚するまで、わずか二十年足らず。別の見方をすれば、我々の人権意識がそれほど急速に進んだ証左として、喜ぶべきことなのかもしれない。この間、心身の障害や、病気や、職業や、身分などの表記に対する配慮もかなり深化し、同時に社会の受容も着実に進んだ。今なお根深い差別意識が残るいっぽうで、懸命にそれを克服せんとする衝動がある。捨てたものではない。これが今の我々、日本国と日本国民の姿なのだ。

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