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エッセイ・コラム

法華経の世界 3.久遠の本仏の思想

斉藤 征雄

 ブッダの説法と譬喩によって三乗方便・一乗真実の思想を多くの者が理解した。ブッダはそれらの人びとに次々に授記を与えた。(授記とは、その者が将来成仏することを保証することである。但し授記されたから成仏できるのではない。成仏できるかどうかは、あくまで本人の修行によるのである)

 法華経では、経典のただ一つの詩偈でも心に留めればすでに信奉したことになる。そして、経典の解説、読誦、書写、あるいは仏塔や仏像を尊崇するというような実践を通して衆生に法華経を広めることが、法華経を信奉する者の使命である。それはブッダに代わってブッダの役割を果たすことである。つまり法華経を信奉、実践することは、衆生を悟りに導く菩薩であることを意味する。
 多数の菩薩が、ブッダが入滅したときには自ら法華経をこの世に広める決意を誓った。 その時、娑婆世界以外の仏国土から集まってきた多くの菩薩たちも、ブッダが入滅した後はわれわれにも法華経を広めさせてほしい、と申し出る。それに対してブッダは、この娑婆世界には、すでに法華経を信奉する無数の菩薩がいる。彼らが広めてくれるだろうと言って断った。そのとたん地面が裂けて、そこから金色に輝く無数の菩薩が涌き出てきたのである。
 ブッダは静かに「久遠の本仏」について説き始めた。

【久遠の本仏思想】
 歴史上のブッダは、この世に生まれ出て修行の末に35歳で悟りを開き、80歳で入滅したと考えられている。
 法華経では、それは人びとを導くために仮にこの世に姿を現わした方便であって、実際にはブッダは久遠の昔に悟りを開いて、これまで無限の時間に亘って絶えず衆生を教化してきた。そして未来は永遠に不滅の存在であると考える。これを久遠の本仏という。
 入滅したのは、ブッダが不滅の存在で、いつでも衆生のそばにいるということがわかると、人びとは安心して努力しなくなるから、方便をもって姿を消した(入滅した)ことにしたというのである。したがって、ブッダの真の実体は永遠のものであり、繰り返しこの世に姿を現わして衆生を救うのである。
 仏の本質は永遠のものという法華経の考えは、その後仏教の教えの根本が、時間的空間的制約を超えた絶対のものという考えにつながっていく。

(仏教学習ノート32)

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