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エッセイ・コラム

佐賀バルーンフェスタ2016

大平 忠

 11月3日、佐賀で行われている熱気球(バルーン)世界選手権大会を見に行ってきた。佐賀でバルーンの国際大会は毎年行われているが、世界選手権が佐賀で開催されるのは19年ぶり3度目だという。31カ国、105機のバルーンが集まってきたそうだ。
 そのせいか、九州では、テレビ・新聞などで賑やかに宣伝していた。この大会の開催期間中10日間に限って、佐賀駅から5分のところ、嘉瀬川の広い河川敷の横手に「バルーン佐賀」という駅が臨時に設けられた。特急も止まり博多駅との往復割引乗車券まで発行された。開催場所に駅まで作って列車を止めるとは驚いた。車で来る見物客のためには会場の5000台の駐車場の他に佐賀市内に7、8箇所駐車場を設け、会場との間はシャトルバスを走らせている。駐車場の中には土日の小中学校の運動場を使用しているものもあった。佐賀は県、市をあげての力の入れようだ。選手を泊める民宿も増え、ボランティアの数も9000人に上るという。

 ところが、厄介なのはこのバルーンという代物である。何しろ「風まかせ」「お天気まかせ」なのである。風が強いと飛ばない。雨が一滴でも降れば飛ばない。それも競技45分前にならないと誰にも分からない。午前の部は6時に決定、45分後にスタート。午後の部は14時に決定、14時45分にスタートと決まっている。競技内容も会場から飛んで数キロ先の田んぼに降りる場合と、数キロ先で飛び立ち会場まで戻ってくる場合など種類が幾つかあり、それをいつやるのかは競技者にも分からない。アクセクしても始まらないのだ。見物客も特急に乗ってやって来たのに見られないといって怒ってはいけない。今日は運が悪かったと淡々としていなければならない。この競技のなんだか茫洋としたところは日本離れしていて、これもまた魅力なのだろうか。
 実は、これらのことは友人K君からあらかじめ教えてもらっていた。K君は二科会会友のカメラマンで佐賀バルーンフェスタに15年以上通い詰めている。門司の家から毎年車でやってきて10日間車中で泊まり自炊するのだそうだ。写真もさることながら、バルーンが飛ばなくても仲良くなった外国の選手たちと旧交を暖めたり、新しい友人を作るのが楽しいという。
 11月2日の午後は風が強く中止になったというが、3日も風は結構強かった。広い会場に約100機のバルーンが車から出て待機の姿勢を取っていたが、14時45分になっても飛ばず、しばらく風待ちというスピーカーの案内があった。今日も今からどうなるか分かりませんとつれない放送である。嘉瀬川の土手の草の上で待っていた。しかし風は納まりそうになく、帰り始めた見物客も出てきた。私も帰ろうと家内に言った。家内はせっかく来たのだからもう少し待つと粘り強い。私はほとんど諦めていたのだが、15時30分を回った頃だろうか、競技者に知らせる旗が赤から黄、やがて黄が緑に変わった。スタートOKの合図である。会場の人の動きが一斉に慌ただしくなった。待機していたバルーンにバーナーで炎を当て始めた。少しずつバルーンは膨らみ始め、みるみるうちに河川敷が色彩豊かになってくる。何せ高さ約20m、直径約15mの派手な色模様のバルーンが100個だから壮観である。15分ぐらいたった頃だろうか最初の一機が飛び立った。見物客も拍手拍手である。私たちも2時間以上待った甲斐があった。拍手してバルーンめがけて手を振った。バスケットの中から選手も下を見て手を振っている。30分ぐらいで全部のバルーンが飛び立っていった。バルーンは青空の中でちょうど夕陽を浴びて美しい。様々な高度をとってゆっくりと風下の南東へと向かう。空を見上げていると童話の世界に入り込んだようでこの世のものとは思えない。何年も通って来ているK君の気持ちが分かるような気がした。約40分間ではあったが夢の世界に浸り込んでいた。後になってK君から、この日は見物客がたいへん多いので、本来であれば中止すべきであったが特別にバルーンを飛ばしたのだという。ラッキーだった。

 今年は、10日間で見物客は100万人を超す勢いという。このうちバルーンを見ることができずに帰った人が何割かいる筈である。しかし、来年こそ見るぞといって毎年見物客は増えていくのだろう。来年も空振りを恐れず是非また見に行こうと思う。

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