作品の閲覧

エッセイ・コラム

「過労死」、人のことを言えるのか

内田 満夫

「過労死等防止対策白書」が初めて刊行の運びになっている。このニュースに接して、残業時間が百時間を超えたくらいで過労死するのは情けない、とネットで呟いた大学教員が世間の批判を浴びた。しかし企業OB世代に、この教員のことを非難することができるのだろうか。
 われわれの現役時には、この程度、あるいはこれを超える時間外勤務すら珍しいことではなかった。顧客や組織や上司の要請に応えるため、あるいは己の着想や使命感に突き動かされて、絶えず仕事に追いまくられていた。中央官庁からして、旧通商産業省が「通常残業省」と揶揄されていたほどだ。企業人も公務員もよく働いた。そうして、わが国の高度成長を支えてきたのである。
 経済の成長は停滞し、労働環境も当時とは大きく様変わりしている。しかし若い時分には、死にもの狂いで働いて生活と格闘する一時期が必要なことは、昔も今も同じではないだろうか。健康や気質上の問題さえなければ、若い世代の心身はかなりのことに耐えられる。働く時間が長いだけで人は死なない。
 大手広告会社に勤める新卒女性社員が自死するという、痛ましいニュースが最近報じられた。これは過労死というよりパワハラ死ではないのか? すさまじい長時間勤務による過労のうえに、人格を否定する、あるいは女性の尊厳を傷つけるような酷い暴言も浴びせられていたらしい。仕事の厳しさとパワハラとはまったく違う。人の心身を痛めつけ、つき放すだけのパワハラこそ悪なのだ。
 私の現役時代の経験でも、職場の周囲で3年に1人くらいの犠牲者が出ていた。ほとんどのケースで、当人を追い詰めた首謀者がいたが、当時はそれが問題視される時代ではなかった。長時間残業といいパワハラといい、企業OB世代には多かれ少なかれ、現役時代に覚えのあることだ。己に自覚のないまま、パワハラに手を染めていたかもしれない。人のことを言えないのである。

作品の一覧へ戻る

作品の閲覧