「奥の細道」翁道中記(その一 千住~草加)
アル中に罹った三人の爺が「奥の細道」歩きに挑戦する。「アル中」と言ってもアルコール依存症ではない。三人は歩き巡礼の会で知り合った「歩き中毒」患者たちである。
最高齢のS翁は陸軍士官学校から北大農学部に進み、戦後の農政を司った。米寿を過ぎた今も若々しく健脚を誇っている。
次のМ兄は円覚寺の居士林で座禅の道場主を務めていた薩摩出身の偉丈夫である。最も若いのが小生、とは言え、喜寿を過ぎている。
S翁は「『奥の細道』八十六歳独り歩き」なる本を著した友人に刺激され、俺もと思い立った。あとの二人は便乗組、私が「曽良」役を買って出る。
旅立ち日(平成二十八年五月十六日)
芭蕉にならい深川より千住へ船で行き、彼と同じ日に旅立ちたいと、NPOの企画「奥の細道追体験クルージング」に参加する。小名木川の高橋から隅田川屋形船に乗り込む。二段折詰弁当を賞味しつつ、スカイツリーなどを見上げていると、直ぐに千住船着場に着く。
素戔嗚(すさのお)神社に立ち寄り、芭蕉像や矢立初めの句碑「行く春や鳥啼き魚の目は泪」を見る。技巧に走り過ぎた句に思えるが、その前文にある「前途三千里のおもひ胸にふさがりて」の感慨には共感する。当時の芭蕉より三十歳以上も年上の我々である。行き先は象潟や大垣よりも遥かに遠い冥途となるかも知れないのだ。
午後二時に千住大橋を渡り、やっちゃ場(青物市場)跡の旧日光街道に入る。NPOグループとも別れ、細長い賑やかな商店街を抜け、荒川に架かる千住新橋に出る。国道四号線と並行する旧街道をひたすら北へ向う。
竹ノ塚の喫茶店で小憩を取り、巨大な宇治金時でリフレッシュ。足立清掃工場の前を過ぎ、埼玉県に入る。道沿いにある煎餅の老舗「いけだ屋」に立ち寄るが、つり銭を貰う際に一円玉を足元に落とす。必死に歩いて来たせいで腰や膝が痛く、「屈む」労賃が一円より高く思えてくる。
今日は草加駅まで、明日は此処からと各々帰宅の途につく。
(14:00-18:00 25,000歩)