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エッセイ・コラム

華厳経の世界 1.盧遮那仏と蓮華蔵世界

斉藤 征雄

 華厳経は、4世紀頃に成立した大乗経典である。内容は、ブッダの悟ったさとりの世界とそこに至る道を説き示しているといわれるが、それを蘆遮那仏(実はブッダ)と蓮華蔵世界という形をとって物語られる。

 蓮華蔵世界は、悟った者だけにしか見ることができないさとりの世界である。それは、盧遮那仏が悟りを開く前つまり菩薩だった時代に長い時間をかけて浄めつくり上げた浄土である。中心に大蓮華が屹立し、汚れがなく美しく多くの宝で荘厳されたおごそかで見事な世界なのだ。
 その真ん中に盧遮那仏が教主として安座し、あたかも太陽の如く蓮華蔵世界のあらゆる生きとし生けるものを、無限の光明で照らし出している。
 そしてその世界は、われわれ衆生が生きている現実世界の本当のすがたでもある。衆生はそれと知らないまま、仏の中にすっぽりと包まれている。だから悟りを開いてこの世界を見れば、あらゆる衆生のどんなささいな動きも盧遮那仏の放つ光の中に映し出されていることがわかり、煩悩も消え去るのである。

 ブッダの悟りの核心つまり仏教の核心は、すべてのものが因果の関係性の中で相互にもたれ合いながら存在しているという縁起の原理にある。そして大乗仏教は、縁起からあらゆるものが固定的な実体をもたない空の思想を生み出した。
 華厳経も、縁起・空の思想を根本とする。
 華厳経で描く蓮華蔵世界は、空間的には宇宙にも似て広大無辺であり、時間的にも、無限の過去からの宿業と無限の未来をもつ生きとし生けるものを擁するという意味で無限である。そうした世界の中で、あらゆるものを決して実体的な存在とはとらえず空であり、他の存在あるいは全体とかかわりあいながら調和、融和して存在すると考える。
 したがって、全体は個の集まりであるばかりか個は全体であり、微細な世界の中に一切世界を見るという。小なる世界が多なる世界、多なる世界が小なる世界である(一即多、多即一)。また時間的にも、一瞬のうちに過去、現在、未来の時間を包むといわれる。
 仏教的に言うと、微細なものの中にも偉大な仏の世界が含まれるということである。

 私のような凡夫には理解を超える哲理であるが、これが悟りの世界であると言われれば信じる他はない。ただ、世界に存在するあらゆるものが、お互いに相手の存在を認めながらしかもそれらがお互いに調和、融和して生きていく、という考えそのものは無理なく理解できる気がする。
 華厳経は、ブッダの悟りの境地を大乗仏教的見地から哲学的かつ文学的に編さんされた経典と解説される。

(仏教学習ノート34)

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