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エッセイ・コラム

華厳経の世界 2.悟りへの道

斉藤 征雄

 大乗仏教では、あらゆる衆生の心の中に仏性がそなわっているとする(如来蔵思想)。そして華厳経は、衆生のそれぞれの中にすでに存在している仏のいのちが顕現(性起)するという考え、つまりわれわれの心そのものが仏のいのちの現れとするのである(性起品)。こうしたことから、悟りとは自己を知ることともいわれる。華厳経で、初めて道を求める心を発心したときにはすでに悟りの域に達しているといわれるのも、心が仏のいのちの現れと考えることから来ていると思われる。

 華厳経では、菩薩の修行の階梯が十段階に設定されており、それを十地という(十地品)。十地の実践は瞑想によって得ることが基本である。
 十地のうち第一から第六までが智慧の完成を目指す階梯、すなわち空を観じ悟りの境地に至る階梯である。そして第七から第十が、慈悲の心をもって衆生を救済する階梯である。前者を自利、後者を利他の階梯と言えるが、衆生済度は自分の喜びつまり自利でもある。

【三界唯心】
 十地の第六(現前地)で、悟りの境地が次の言葉で表現されている。
「三界は虚妄にして但だ是れ心の作なり。十二縁分も是れ皆心に依る」(三界唯心偈)
 三界は欲界、色界、無色界のこと、つまり迷いの世界であるが、これらは皆心の持ち方によって現れ出る仮の姿。迷いの要素(十二因縁の諸項目)もまた心のあり方によって起こる。したがって心の持ち方によって仏の世界も出現するのである。それを瞑想による直観によって観ずるのが悟りの境地、仏の智慧と説く。

【善財童子の求道物語】
 華厳経の最後は、善財という少年の求道物語で締めくくられる(入法界品)。
 文殊菩薩がインドの南方を旅していると、ある町で善財童子に逢う。そして迷いの中にあって文殊の導きを願う善財童子の気持ちを聞いて求道の旅へ出ることをいざなう。
 善財童子は文殊の説示にしたがって、菩薩の行いを知るために53人という多くの人びとを訪ね歩いて教えを請う。会った人びとは善知識と呼ばれる師であるが、その身分、職業、性別はさまざまだった。具体的には菩薩、修行者、仙人、バラモン、少年、少女、女神、商人、長者など、そして遊女までが含まれていた。 こうした多岐にわたる人びとが師たり得たのは、人間の平等、在家者を尊重する考えが反映していると考えられている。
 善財童子は最後に弥勒菩薩、文殊菩薩、普賢菩薩に教えを受けて菩薩の道を完成し、悟りの境地に導かれるという物語である。
 この物語によって、華厳経には難しい哲学だけではなく、宗教としての実践面も強調されていることがわかるのである。

(仏教学習ノート35)

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