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エッセイ・コラム

芙蓉に惚れなおす

内田 満夫

 この歳になって、初めて富士山に出会ったような気がしている。この年末、久しぶりに新幹線で神戸・東京間を往復した、その帰路でのことだ。
 東京での所用を済ませたあと、めったに乗らない新幹線を楽しもうと、「こだま」でゆっくり神戸に戻ることにした。まだ明けやらぬ朝、品川を出発する。13年前開業のこの新幹線駅を利用するのは、今回が初めてだ。
 さっそく缶ビールをプシューッと開ける。ひと仕事を終えた出張帰りの解放感、心地よい疲労につつまれてほっと一息をつく、現役のころの至福の瞬間がよみがえる。来るときは曇天だったが、さいわい帰りは好天、車窓の景色が楽しめそうだ。新横浜を過ぎると左手に湘南の海が見えてきた。
 三島を過ぎるころ、右手の山塊の上に突如、扇を伏せたような白色の頂が出現した。やがて山容全体が現われると、かなり裾のほうまで白雪に覆われているのが見てとれる。陽が低くてまだ暗緑色の麓と、朝暉を真っ向から浴びて輝きを増す純白の冠雪との対比が鮮やかだ。雲ひとつない晴天。まるで白装束の麗人がすっくと立っているかのよう。その気高さ、神々しさに息をのみ、周囲に乗客のいないのをさいわい、われながら思わず大きな歎声を漏らしてしまった。
 新富士に着くあたりでは、雪を戴く山頂から裾野に至る大スペクタクルが一望のもとになる。左辺に長く尾をひく稜線の、一分の乱れもない何という端正さ。全景が一幅の絵として迫ってくる。
 詩吟で齧ったことのある、石川丈山作「富士山」の一節を想い出す。
  仙客来遊雲外巓
  神龍棲老洞中淵
  雲如紈素煙如枘
  白扇倒懸東海天
 結句の「白扇(はくせん)倒(さかしま)に懸る東海の天」の件は、この景観をみごとに活写する。この部分では、ことさら情感をこめて声を張り上げ、己が朗詠に酔いしれたものだ。
 現役のころに何度となく東海道を行き来しながら、いつしかこの山の存在は意識から遠のいていた。仕事と生活に追われて、精神(こころ)に余裕のない人生の一時期があったのだ。富士の山に惚れなおす老境にあるしあわせを、今つくづくと噛みしめる。

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