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エッセイ・コラム

プレゼント

濱田 優(ゆたか)

 北朝鮮の金正恩委員長が、この五月の労働党大会の際、党や軍の幹部ら百名にスイス製の腕時計をプレゼントした(十月四日付朝日新聞)。彼らの忠誠心を引き出すためというが、果たして……。
 ふと、戦前の「恩賜の銀時計」が思い浮かぶ。しかしこれは、軍学校や一部の大学の成績優秀者に与えられた褒賞で、彼の国の贈物とはその趣を異にする。

 話は急に身近になる。私の初めての腕時計は高校入学のお祝いに親が買ってくれたもの。セイコーの手巻き腕時計で、毎日竜頭を巻き、ラジオの時報で時間を合わせる。今思うと、よくそんな厄介なことを続けたものだ。だが、当時は時計を持ったら面倒を見るのは当たり前。毎日世話をしているうちに自然と愛着が深まり、単なる機械とは思えなくなった。
 今でも腕時計は進学祝や就職祝の定番の一つにはなっている。ただ、クオーツの普及で廉価品と高級品で時計としての基本性能の差はなくなり、メーカーは特別な付加機能とかデザインやブランドイメージで差別化を図っている。となると、決め手は相手の好み次第で多様になり、贈り手は選択が難しい。それに時間はスマホで見るから腕時計は不要という人が若者を中心に増えているという。
 この先プレゼントとして腕時計はどうなるだろう。一足先に使い捨てが広まり、喫煙者も激減したライターと同じように、実用を離れてロレックスなどの高価なブランド品だけが生き残るのであろうか。

 時計と並ぶ贈物の定番といえば、モンブランに代表される高級万年筆が挙げられる。今はもうクロスなどのボールペンに押されて廃れたと思っていたら、どっこい万年筆の人気が復活しているという。それもオジサンばかりか、若い人の中にも万年筆を使う人が増えているそうだ。
 良いことだ、その傾向は。パソコンやスマホばかり使っていると漢字が書けなくなる。「ひらがな」を変換すれば思い通りの漢字が出てくるけれど、書こうとすると細かなところがどう書くか自信が持てない。それに何より、万年筆を愛用して手書きをすれば、個性のない活字と違って書き手の気持ちが伝わる。

 そのほか、昔と変わらぬ人気を保っている贈物として、バッグに財布やパス入れなど革製品が挙げられる。飽きのこないシンプルなデザインなら今は間に合っていても後で使える。私も今、現役のころにもらった財布を贈り主に感謝しながら使っている。
 一方、今時のもので若い人に人気の高い商品は、いわゆるデジモノ。電子辞書や電子ノートなどのデジタル文具や携帯音楽プレーヤーが挙げられている。この類のものは進歩が激しく年寄りはついていけないから、孫が欲しがったらお金を渡して自分で買ってもらうほかはない。

 最後に立場を変えて、私がもらってうれしかったプレゼントを挙げると、やはり前述の親からの腕時計のほか、姉からの二眼レフカメラやハイファイラジオなど、学生時代に欲しかったけれど高価で小遣いでは買えなかったものが並ぶ。だがそれだけではなく、気の利いた小物で今も重宝しているものもある。たとえば小さな天秤式の秤。勤め先のクリスマス会で知的で好もしいOLからプレゼント交換でもらったもので、手紙が重量を簡単にチェックできる。

 ものが溢れ過ぎて、片付け術の本がミリオンセラーになるこの時代、何を贈れば喜ばれるか、を考えるのは悩ましい。
 その解決策の一つであろう。最近、商品カタログを送って、その中から選ぶようにというギフトが増えてきた。確かにお祝い返しや香典返し、あるいは中元歳暮のように数多くの人に一斉に贈る場合は合理的でいい。ただしそれは、現金を贈るのとたいさなく味気ない。やはり個人と個人の間では贈り手の人柄や拘りが感じられる贈り物を交わしたい。

 ところで彼の国でボスから腕時計をもらった幹部はどんな気持ちだろう。
 5月に対北朝鮮制裁で禁輸品になったスイス製高級腕時計である。いかにして規制を掻い潜ったか。普通は手に入らない格別の価値があるものに違いない。
 しかし一方、韓国の情報機関の発表によると、この4年間で100人以上の幹部が処刑されたという。
 プレゼント政治のただ中にいる彼らの本音を聞きたいものである。

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