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エッセイ・コラム

「奥の細道」翁道中記(その六 鹿沼~今市)

池田 隆

 七日目(平成二十八年十一月二日)
 朝一番にホテルから大谷寺(おおやじ)へ。周辺の集落では大谷石が民家の塀や蔵に惜し気もなく使われている。昭和三十年代頃までの東京郊外の住宅街が懐かしい。大谷石の石垣の上にマサキやレッドロビンの生垣をよく目にしたものだ。それがコンクリートブロックの普及や敷地の分割で次々と消えていった。
 大谷寺は特別史跡の摩崖仏で有名である。本堂奥の岩壁に彫られた千手観音を拝む。側面の岩肌にも数多の仏が刻まれている。しかし最も印象に残ったのは仏様方よりも宝物館で見た一万一千年前(縄文草創期)のほぼ完全な形の人骨である。境内の横穴で発見されたという。当時の日本列島の人口は二万人以下と推定される。それから約四百世代が過ぎた現在、彼の遺伝子は日本人全ての身体に拡散している筈だ。思わず貴重なご先祖様に手を合わせる。
 さらに大谷石採掘場跡の巨大な地下空間室なども見学したいが、出発予定時刻を一時間以上も過ぎた。気を引き締め、歩き開始。「森林通り」と称するコースをひたすら北に進むと、三方を山塊に囲まれた森林公園に突き当たる。その先の山間の道は大雨の被害で通行不可とのこと。
 でも徒歩ならば通れるだろうと、鞍掛峠に向けゴルフ場に挟まれた急坂を登り始めた。幅員は狭くないが、路面の土が轍(わだち)のように流され、数十センチ深さの溝が道幅一杯に蛇行している。赤土で滑り易く、S翁と私は慎重に足を運ぶ。だが山歩きに長けたМ兄はポンポンと前に進み、直ぐに姿が見えなくなった。数十分の難行苦行の末にやっと峠に到着。その先は舗装道路となり、ひと息をつく。後は県道を道なりに進めばよい。
 時計を見ると、すでに一時を過ぎている。今日のゴール予定地の今市駅まではまだ十二キロもある。もくもくと歩き、夕闇が迫る頃に到着。この道行きの続きは来春にしようと約し、帰宅の列車に乗る。車中は日光観光を終えた外人の家族などで賑わっていた。
 (8:00-16:50 45,000歩)

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