大丈夫?
喜寿を迎えた三年前、孫と競ったスキーで転倒して起き上がれず、小学生の手を借りた。新雪でもがく77歳に「じーじ、大丈夫?」という声。ストックを拾ってもらって、なんとか立ち上がると、初心者に戻り、ボーゲンで辛うじて裾野まで降りたが、以来、趣味の一つであったスキーとは縁が切れている。
弱ったのは足腰だけではない。頭脳に収まっている筈の漢字が出てこない。これは、パソコンのワードで文章を綴っているのが遠因でもあろう。ローマ字で打って漢字に転換すると、とんでもないことが起きるのだ。先週来宅した同じ歳の建築設計家の話。
「豊島区で業界の支部長しているのだけどね、この間、転換ミスで『年増支部長』なんてメールを出して大笑いされちゃった」という。その昔、我が家を設計した、少しは業界でも知られた男で、屋根などの修復工事の下見で来ていたのだが、思わず「大丈夫?」と、目を覗き込んでしまった。
彼との打ち合わせが済むと、のど飴を求めてコンビニまで散歩。百円余りの値段だ。ところが、レジで財布を開けると、なんと福澤諭吉さんが一枚残っているだけ。
ご隠居は思わず「大丈夫?」と若いレジの女性に問うと、間髪入れず「大丈夫です」という。千円のピン札とコインがどっさり戻ってきた。
帰り道、足腰の凝りをほぐしてもらうため整骨院に寄る。お昼前で、四台あるベッドのカーテンが全て閉まっているではないか。「大丈夫?」と訊くと、整体師はにっこり笑って「大丈夫です」。まずは電磁波で筋肉のしこりを解す。腰と肩の左右四カ所に小さな機器を当てる。徐々に電気がびりびりと効いてくる。「大丈夫ですか?」「大丈夫」……。
海外でも同じような便利な言葉がある。「大丈夫」は、駐在した中東では、「インシャラー」だったと記憶する。「神の御心のままに」の意味だ。香港では「モーマンタイ(無問題)」だし、英米では、〝No Problem”〝Are you all right? ” 、etc. 似たような言葉は数多い。“OK? ” だけで済む場合も……。 要は、通じれば「大丈夫」なのだ。
マッサージで身体が軽くなり、帰宅してテレビを眺めると、満面から笑みがこぼれんばかりの某国首相が、某国大統領と固く握手してハグする場面が続いた。「大丈夫」は、語源的には、「立派な男子、ますらお」を意味するが、そういう印象はない。
片や怪しくもしたたかな商売人、対するは、軍部と闘った祖父・寛、平和を望んだ父・晋太郎の血筋を継いだとは思えない三代目のお坊ちゃま。
各紙の報道を読みながら、思わず「大丈夫?」と、米欧亜、ロシア、中東等々、諸外国との交渉事で会社生活のかなりの部分を過ごしたご隠居は、緩くなったお頭を捻りながらひっそり呟いている。